2020年8月14日更新

第19回 パレルモ(シチリア島)と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(第二回)


イタリア生まれの神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世、今回はイタリアでの呼び方、フェデリーコで進めましょう。シチリア島で生まれたフェデリーコですが、1210年、時のローマ教皇インノケンティウス3世がフェデリーコ(当時15歳)をシチリア王に推戴し、ノルマン・イタリア王国の皇帝となります。ちなみに、同じ年、インノケンティウス3世はフランシスコ修道会を認可しています。
 

数学・天文学・神学・哲学、、、フェデリーコは世界の学問を吸収してイタリアに根付かせた

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世

幼きフェデリーコを養育したのはローマ教皇でした。
学識ある聖職者を選抜してパレルモに送り込みます。対面した教師団はすぐに驚嘆のうなり声をあげます。4歳の頃すでにラテン語の読み書きを習得するほど早熟で、歴史や哲学の書物を読みかじっていたといいます。また、神学、天文学、数学、植物学をものにし、試作と楽器演奏も習得。アラビア語、ギリシャ語もすぐに堪能になりました。

このような人物が地中海の交易の中心、シチリア島パレルモの王宮にいたわけですから、イタリアには様々な学問が入り込み、また、それを正しく人々に伝える力がパレルモ王宮にあったと言えます。
ローマ=カトリックに固執せず、数学や天文学はアラブ世界から、哲学はギリシャ世界から、シチリア島からイタリア各地に発信されていきました。


 

ナポリの町並み

 

ナポリからフィレンツェ、ルネッサンスへ

南イタリアのもうひとつの拠点がナポリです。フェデリーコが亡くなってから80年、ナポリは王国の首都となります。このナポリ王国の財政はフィレンツェの銀行に負うところが大きかった。つまり、フィレンツェとナポリは経済的にもつながっており、銀行業でルネサンスを押し上げたメディチ家へとシチリア・ナポリで成熟していった学問が受け継がれていくのです。フィレンツェの詩人ボッカチオは幼少期、少年時代を過ごしたのはナポリです。名匠ジョットもナポリによくやってきていました。シエナ派のシモーネ・マルティーニはナポリ王の招きでナポリに来ています。  

こうしてフェデリーコが地中海の真ん中、シチリア島で育んだアラブ世界、ギリシャ世界、西ヨーロッパ世界、ビザンチン世界の英知はナポリを受け継がれ、そしてフィレンツェでルネッサンスとして花開きました。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世ことフェデリーコについて、二本立てでお送りしました。いかがでしたか?
次の記事も、お楽しみに!
藤沢営業所所長:近 博之


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