【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2022年10月29日

日本最古の官道 竹内街道・横大路(大道)をゆく 4日間

〈10月26日発 添乗員:東京本社営業部 中屋 雅之〉

 新ツアー、「日本最古の官道 竹内街道・横大路(大道)をゆく 4日間」に行ってまいりました。「竹内街道」といってもあまり馴染みがないかもしれませんが、推古天皇の勅命で西暦613年に作られた日本初の官道(国道)であり、この時代の2つの都、つまり奈良の「飛鳥の宮」と大阪の「難波の宮」を結んでいます。そもそも大阪に日本の首都があったということもあまり知られていませんが、飛鳥時代の孝徳天皇の時代から奈良時代にかけておよそ150年間にわたって、ここ「難波の宮」が都でした。現在この都の跡は発掘中であり、発掘・調査・復元が進行中です。2025年の大坂万博では大きな目玉の一つになりそうです。「竹内街道は」この難波の宮の南大門に始まり、南に下って堺の町へ。ここから東に向かい、現在の太子町を通って飛鳥の都に至る道です。飛鳥時代には外国からの使節もこの道を通って都へ向かい、さらにはシルクロードの最後のルートでもありました。

 中世になると商業で栄えた2大都市、堺と今井を結ぶ経済の道として更に発展を遂げました。現在でも当時の繁栄を伺わせる様々な歴史的建造物や町並みが街道沿いに残っています。

竹内街道の西の拠点「堺」

大阪の堺の町は大阪府にありながら他の大阪の地域とは少し違った雰囲気を持っています。堺の人々は生まれはどちら?と聞かれると決して「大阪」とは答えず「堺」と答えるそうです。大阪とは一線を画する自負があるようです。この地域は古代には仁徳天皇陵をはじめとする「百舌鳥古墳群」が造られ、中世の堺商人は海外からざまざまな品物を輸入。特に鉄砲の伝来以降は「鉄砲鍛冶」が盛んになりました。当時の鉄砲は現在の価格にして1丁約4000万円もする高価なものでした。それを大量に生産し、堺の町は更に栄えたのです。

ホテルから歩いて「堺灯台」へ。日本で最初の西洋式木造灯台です。丁度、日没風景が美しかったです。

堺の町では千利休と与謝野晶子を詳しく紹介する「利晶の杜」や徳川家康の墓があると言われる「南宗寺」、江戸時代後期から明治にかけての寺子屋「清学院」などを見学、更に堺市役所の21階展望台から堺市の全景をご覧いただきました。

利晶の杜の展示物。右は安土桃山時代の日本地図。SACAI(さかい)と書いた文字が見られます。
堺市役所21階の展望台からの眺望。360℃の眺望が楽しめ、神戸の六高山やアベノハルカス、明石大橋まで見られます。正面の森のような部分が仁徳天皇陵です。
堺市役所の展望台からは、こうは見えません、これは航空機から眺めたものです。

堺から「竹内街道」を走り太子町へ。

堺を出発し、西へ向かうと大阪市太子町へ至ります。太子町はその名前の通り、聖徳太子ゆかりの地です。推古天皇や聖徳太子の活躍した飛鳥時代に、この地域には数々の寺院や天皇陵が造られました。更に、この地域にはかつての「竹内街道」の道がそのまま残り、当時の雰囲気を感じることができます。

ここには「竹内街道歴史資料館」もあって、学芸員の方が竹内街道の歴史について詳しく説明してくれました。資料館からかつての竹内街道を少し歩くと、江戸時代の雰囲気を残す茅葺屋根の「旧山本家住宅」や孝徳天皇の御陵などもありました。更にその近くには二上山の中腹に「鹿谷寺」(ろくたんじ)跡があります。これは巨大な岩山を刳り貫いて作った十三重塔が有名です。ただし、そこに行くためには急な坂道を約10分〜15分上らなければなりません。

鹿谷寺へはこのようなやや急な山道を約10分から15分歩きます。足元に気を付けて歩いてください。
鹿谷寺(ろくたんじ)も十三重塔。巨大な岩山を刳り貫いて塔の部分だけを残したもの。中国の敦煌やインドのエローラ・アジャンタ石窟の流れをくむものであり、ここがシルクルードの最後の区間であった証拠といえます。

太子町では「近つ飛鳥博物館」が見逃せません。

山の中に突如現われたコンクリート造りのモダンな建物は安藤忠雄氏の設計です。建物全体の形は前方後円墳の形をしており、内部には仁徳天皇陵の150分の一の模型や、聖徳太子廟の模型、各遺跡から出土した様々な遺物が展示されていました。更に特筆すべきは上記、鹿谷寺(ろくたんじ)の石造13重の塔の実物大復元模型があることです。本物は上部が欠け、下部は土に埋もれてしまっていますのでやや小さく見えますが、もともとは非常に大きかったことがわかります。

安藤忠雄氏設計の「近つ飛鳥博物館」。この地域の歴史を知る上で絶対に外せない博物館です。
内部には仁徳天皇陵の150分の一模型やそこから出てきた埴輪や銅鏡など様々なものが展示されています。

最後の宿泊地は大和八木

大和八木といってもあまり知られていないかもしれませんが、東西に走る竹内街道(大道)と南北に走る下ツ道の交差点がここにあり、江戸中期以降、街道上で最も栄えた場所でもあります。その交差点が「八木札ノ辻」であり、この界隈は伊勢参りや大峰山詣での巡礼者でたいそう賑わっていたそうです。

「八木札ノ辻」、「横大路」と「下ツ道」の交差点。後ろの建物はかつての旅籠の建物です。ここは街道上でも最も栄えた場所です。

この大和八木は橿原市に位置し、橿原神宮や神武天皇陵などにも近い場所です。その橿原神宮のすぐ近くにあるのが「橿原考古学研究所付属博物館」です。この博物館も日本の古代史を語る上で絶対に外せないものです。館内は旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代と時代を追っての展示ですのでこの地域の歴史の鳥瞰を得ることができます。ここで特にご注目いただきたいものが「太安万侶の墓」です。古事記を編纂した太安万侶はその実在が疑問視されていましたが、この墓と墓誌の発見によって実在したことが証明されました。

古墳の周りに並べられた円筒埴輪
古墳から発掘された銅鏡や銅剣
「藤ノ木古墳」からの出土品
太安万侶の墓:古事記を筆記した人物として有名です。

ツアー最後の見学地は重伝建・今井町です。

堺と並んで発展した町が今井町です。現在は重伝建(重要伝統的建造物保存地区)として多くの観光客が訪れるようになりました。かつて室町時代に一向宗徒によって造られた町です。濠を巡らし土塁を積み、自治都市として力を持って織田信長軍に対しても真っ向から戦いに打って出たほどです。その後も長らく自治を守り、「海の堺、陸の今井」として日本の経済をリードしてきました。濠は一部を残し道路となりましたが、幸いにして大火もなく、往時の町並みを今に伝えています。町内の約300戸は江戸時代からの伝統的建造物です。

 観光後、古民家レストラン「古伊」(ふるい)で蕎麦と柿の葉寿司の昼食をお召し上がりいただきました。

明治天皇の行在所でもあった「称念寺」。ここには明治天皇駐之処(ちゅうひつのところ)という石碑があります。
古い街並みは江戸時代さながらです。
知事を務めた今西家の住宅

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