町並み百選
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2023年12月05日
「屋根のない博物館」萩を歩く(山口県)
山口県の日本海側に位置する萩には、毛利藩の260年にわたる治世下に形成された城下町の佇まいや町割りがそのまま残っています。阿武川が松本川と橋本川の二つに別れる三角州に築かれた町並みは、「江戸時代の城下町絵図がそのまま使える」と言えるほど、壊されることなく継承されているのです。
明治以降は萩でも他の都市と同じように近代化が図られました。学校や役場や公的な機関を建てるにあたり、他の町では武家屋敷を取り壊し、その広大な土地を利用することが多かったのですが、萩は三角州を埋めてできた町ですので、江戸時代から町割りに不向きな低湿な土地が多く、それらの土地を利用することで元からあった町並みを壊さずに済んだことが一つの理由です。
また、明治維新後に禄を失った武士の救済のため、夏みかんの栽培が広い武家屋敷地を畑にして始められました。土塀はちょうどよい風除けになった訳です。萩の年間予算の8倍を超える利益を生み出す夏みかん畑は永らく萩の経済を支えました。その結果、武家屋敷地(=夏みかん畑)が維持されることとなったのです。さらに、近代化の象徴ともいえる鉄道は、大正14年に萩まで開通しました。効率の点では萩の城下町をズバッと貫き、まっすぐ線路を敷設するのが最もよいのですが、萩では三角州の外側を回る形で線路が敷かれました。これもそれ以後の町の開発において元の町並みが壊されなかった大きな原因です。そしてなにより萩の町は、幸いなことに戦災や震災、大規模な火災などの大災害に遭うことがありませんでした。実は米軍の攻撃目標都市の中に萩市も入っていたのですが、ついに終戦まで空襲の被害に遭うことはなかったのです。
こうして現在では、「堀内地区」、「平安古(ひやこ)地区」、「浜崎」の3地区(さらに萩往還の宿場町である「佐々並市」も含めると4地区)が国選定の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。伝建地区ではないものの木戸孝允(桂小五郎)旧宅や、高杉晋作生誕地などがある「萩城下町」や、桂太郎旧宅などのある「藍場川地区」など古い町並みがたくさん残っています。 白壁となまこ壁や黒板塀の美しい通りに夏みかんがのぞく萩の町は、古地図を片手に散策するのがお勧めです。維新の志士たちが闊歩した町並みを皆様もあるいてみませんか。
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「日本の町並みレポーター」大阪支店 八百屋健太
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