【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2024年04月08日

【帰着レポート】九州北部の古代史跡と吉野ヶ里遺跡の旅 

<2024年3月26日(火)~2024年3月29日(金) 添乗員:大阪支店 八百屋健太>

<2024年3月26日(火)~2024年3月29日(金) 添乗員:大阪支店 八百屋健太>

春の訪れを感じる北部九州で弥生時代の遺跡をつぶさに訪ねました

菜の花と桜が美しく咲く頃、玄界灘を臨む福岡と佐賀に点在する弥生時代の古代史跡を訪れました。「魏志倭人伝」で邪馬台国への途上にある末盧国、伊都国、奴国と推定される遺跡群を訪ね、地元の研究家や古代史を専攻する学芸員、また語り部の方々の解説を聞き、弥生時代の国(邑)の様子を再認識する旅となりました。

●福岡空港近くの「金隈遺跡」から古代の旅が始まりました

「金隈遺跡」は、弥生時代の約400年間にわたって営まれた共同墓地遺跡で、多くの甕棺墓とその中からは人骨と副葬品が発掘されました。館内に入ると目の前に発掘当時の様子が広がり、無数の甕棺墓を見ることができます。南の海にしか生息しない貝で作られた腕輪も見つかり当時の人々の広い交流が分かりました。

甕棺墓からは人骨や副葬品が出土しています
発掘現場をぐるっと一周

●稲作の始まり「板付遺跡」と奴国の王都「須玖岡本遺跡」

歴史の授業で聞き覚えのある「板付遺跡」、水田の跡からは古代人の足跡も発見されました。また、春日市の須玖岡本遺跡は奴国王の墓が見つかった遺跡です。ガラス製勾玉とガラス製小玉は現代にも通じるデザインです。

板付遺跡弥生館は館長の解説で見学
須玖岡本遺跡から出土したガラス製勾玉と小玉
 

●「伊都国」があった糸島半島から「末盧国」の唐津へ

渡来人たちが故郷の山になぞらえた可也山がシンボルの糸島半島、この地では「新町支石墓群」とそこからの出土品を展示する「志摩歴史資料館」、さらに伊都国の女王墓「平原古墳」と国宝の銅鏡などを収蔵する「伊都国歴史博物館」を訪ねました。そして糸島から末盧国があったとされる佐賀県唐津に移り、最古の水田跡「菜畑遺跡・末盧館」も訪ねました。

地元では糸島富士と呼ばれる可也山
埋葬者は縄文系の特徴を持ち、抜歯の痕跡も確認されました
平原遺跡からの出土品を展示する伊都国歴史博物館
伊都国は女王が治めていたとされます
日本最大、直径46.5センチメートルの内行花文鏡
菜畑遺跡の最古の水田跡を現代に再現した復元水田

●吉野ケ里遺跡で古代史ロマンの核心に迫ります

弥生時代の「クニ」の形が分かるのが吉野ケ里遺跡です。専門解説員の方とともに環壕の内側へ、南内郭の物見櫓から周囲を見渡すと、ここに弥生時代の国があったことが想像できます。北内郭の巨大な主祭殿は吉野ケ里の中心、ここから先は甕棺墓が並ぶ死者の世界で、歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられてるのが北墳丘墓です。さらに今回は発掘調査が再開された現場も覗きました。新たな発見が待ち遠しい吉野ケ里遺跡です。

壕と柵で囲まれ、物見櫓が建つ南内郭
主祭殿は3層2層建ての巨大な高床建物
歴代王が埋葬された特別なお墓と考えられている北墳丘墓
10年ぶりに発掘調査が再開された現場がここ

●古代遺跡の合間に中世の巨大城郭「名護屋城」跡も訪問

古代がテーマのこのコースですが、ここまで来たらせっかくですので中世の大城郭跡も訪ねました。「肥前名護屋城」、豊臣秀吉の朝鮮出兵の拠点として築かれた城で、当時は大坂城に次ぐ規模を誇っていました。城跡を歩くとその巨大さがよく分かります。

縄張りを黒田官兵衛が、現場監督を加藤清正が担当しました
全国の戦国大名160家が勢揃い、当時の様子をジオラマで解説
秀吉が持ち込ませた黄金の茶室は博物館でご覧いただけます
名護屋城のすぐ下は玄界灘、呼子のイカもいただきました。

このたびは、弥生時代を中心とした古代ロマンに触れる旅でしたが、各地で解説してくれた方々がとても詳しく説明してくれたおかげで奴国、伊都国、末盧国といった国々のことがよく分かりました。邪馬台国の謎は深まるばかりですが、益々古代史への興味が湧いた旅となりました。

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