2020年8月11日更新

第18回 パレルモ(シチリア島)と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世


以前、イタリアのウンブリア州アッシジの旅を添乗でご案内していました。訪れたのはアッシジから1時間ほど南にあるモンテファルコという小さな丘の上の町。ここの昼食レストランの名前が「フェデリコ」という名前でした。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世。イタリア語読みをすると「フェデリコ」。なぜドイツの王がイタリアに?という疑問が沸き上がります。ノルマン・イタリア王国の王としてイタリア半島の約3分の1、そしてシチリア島を治めていたフリードリヒ2世。鷹狩りを楽しみにやってきたのが、私たちが訪れた小さな丘の上の町モンテ(=山)・ファルコ(=鷹)というだった訳です。

 

ノルマン・イタリア王国の王宮が置かれ繁栄したパレルモ

神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世

1194年にフリードリヒ2世は生まれます。アッシジの聖フランチェスコスコとほぼ同世代ですね。日本は鎌倉時代。そんな世界で、地中海のちょうど真ん中に位置するシチリア島、中でも三角形の島の左上に位置するパレルモは交易の十字路として繁栄を極めます。様々な民族、文化、宗教、学問が行き交うシチリア島のパレルモに王宮を構え、様々な分野で研究をすすめたのがフリードリヒ2世と言えます。

パレルモではギリシャ語もヘブライ語もアラビア語も通用していました。カトリックやギリシャ正教の聖堂に混じってイスラム教のモスクやユダヤ教のシナゴーグが建ち、それぞれの信徒を集めていました。

宗教の違いは目をつぶってアラブ人、ギリシャ人、ユダヤ人を登用し、能率的な官僚機構が確立していました。12世紀半ばには、この王国はヨーロッパで最も豊かで文化的な国となり、首都パレルモは世界で最も国際化された都市となっていました。


 

アラブ・ビザンチン・ゴシックの混合様式のパラティーノ礼拝堂(パレルモ)

 

芸術・学問を愛した皇帝

フリードリヒ2世が模範としたのは、古代帝政ローマでした。古典古代復興の機運がルネッサンスに200年先駆けて、パレルモの王宮で起きていたと言えます。それは芸術にも反映していきます。皇帝が好んだのは、教養ある優雅な会話でした。自身も優れた座談家で、彼の受け答えは詩人や芸術家を魅了しました。

また、皇帝は文学や美術にも力を入れましたが、それ以上に科学が好きだったようです。イスラムの大数学者を宮廷に招いたり、ヨーロッパよりもイスラム世界の方が遥かに科学が進んでいたこともはっきりと認識しており、ますます異教文化に深入りすることになります。但し、それはイタリアの教皇派から目を付けられる大きな要因となります。

ノルマン建築様式のモンレアーレ大聖堂。パレルモから8㎞のモンレアーレに位置する。
次回は、フリードリヒ2世の「その2」として続編をお届けします。ゲルマンの血が流れたイタリアの皇帝は、ルネッサンスへと続く学問、芸術の流れをどのようにつくっていったのでしょうか。

次回更新予定:8月14日(金)
藤沢営業所所長:近 博之


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