2020年7月27日更新

第17 回 シャンベリー(フランス)とジャン・ジャック・ルソー

シャンベリーの町並み

1778年7月2日、ジャン=ジャック・ルソーはパリ郊外で66年の生涯を閉じました。そのわずか11年後の1789年フランス革命は勃発します。ルソーは当時の「君主主権」の観念が絶対王政を支える根拠となっていた社会を、人民にこそ主権が存するという「人民主権」の概念がもたらした、まさにフランス革命に影響を与えた哲学者です。 ルソーに影響を受けた哲学者がドイツのカントであり、帝政ロシアの作家トルストイもルソーを愛読し強く影響を受けました。 今回の、『この街にこの人あり』は、哲学者ジャン・ジャック・ルソーが若き日を過ごしたフランス北東部、サヴォア地方のシャンベリーでの淡い日々のお話です。
ジャン=ジャック・ルソー

ジュネーブ生まれ、不遇の幼少期からヴァランス夫人との出会い

1712年、ルソーはジュネーブの時計職人の家に生まれます。
フランス人と思われがちですが、彼はジュネーブ市民であることに誇りを持つスイス人です。生後9日目にして母が亡くなり、10歳の時にその父が蒸発、さらに兄も奉公に出され孤児同然になります。ジュネーブ郊外の牧師に預けられますが、理不尽な虐待を受け脱走し、放浪生活を長く続けます。
1728年、ジュネーブに程近いフランスの美しい湖畔の街アヌシーで15歳のルソーの前に現れたのがヴァランス男爵夫人です。このヴァランス夫人にルソーは引き取られます。
29歳のヴァランス夫人、それは恋というより幼き頃から母の愛情を知らずして育ったルソーにとっての、温かき愛情に包まれた歓びだったはずです。


 

6年間を過ごした古都シャンベリー

フランス北東部、現在のサヴォア地方にあるシャンベリー。
1416年から1720年まで存続したサヴォア公国、その最初の都がシャンベリーです。その後、トリノに遷都され、イタリア統一の先駆的役割を果たしたサルデーニャ王国の前身ともいえるのがサヴォア公国です。ちょっと複雑な歴史ですが、約300年も現在のトリノ一帯を治めていた大きな国の都だったわけです。街の中心にあるシャンベリー城には、かつてのサヴォア家の王室礼拝堂もありなかなか見ごたえがあります。
古都シャンベリーにルソーとヴァランス夫人がやってきたのが1736年。ルソーわずかに24歳の時です。そこからの6年間は森の中に佇む二人だけの別荘「レ・シャルメット」が愛の棲家となります。今、私たちが訪れても300年前に実際に過ごした家が実に保存状態良く残っています。庭の菜園も美しく再現され、入り口には、ルソーがヴァランス夫人とアヌシーの街で初めて出会った時の様子が描かれた絵もあります。
開放された窓からはアルプスからの心地よい風が吹き抜け、二人が大好きな読書を楽しみ、趣味の菜園をし、山や丘を散歩した、自然溢れる生活をすぐ近くに感じることができます。

レ・シャルメット©Chris Bertram
レ・シャルメット内部©Chris Bertram

再び放浪生活、集大成へ

「ママン」、「坊や」と呼び合った愛は続くことはなく終わりを告げます。ルソーはパリに行き、1750年に執筆した『学問芸術論』で頭角を現し意欲的な活動を行っていきます。

ルソーはシャンベリーでの日々を、
「私の一生のうちで、私が完全に、純粋に…私自身であった一度の時代…」
「私がほんとうに生きたいといいきれるのはあの時代だけ…」
と語っています。

愛する人と過ごしていたということもありますが、シャンベリーの街が彼と彼の思想を育んだのかもしれません。

次回はパレルモ(イタリア・シチリア島)と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世です。

次回更新予定:7月31日(金)
藤沢営業所所長:近 博之


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