2020年7月11日更新

第15 回 リスボン(ポルトガル)と天正遣欧少年使節団

テージョ川

1584年8月11日 命をかけた2年におよぶ航海の末、疲れた果てたか、ヨーロッパ大陸に到着する喜びを噛みしめていたか、船はゆっくりとリスボンへと入っていきます。
乗っていたのは天正遣欧少年使節団、伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルティーノ、中浦ジュリアンの4名の使者。

テージョ河・ベレンの塔が4人を迎え入れる

1582年(天正10年)2月20日、4人は長崎港を出航します。
時の権力者は織田信長。教会に対し絶大な保護を与えていました。狩野永徳の描いた屏風絵を持たせ、日本での布教をローマ教皇に支援してもらうこと。4名の少年は未知なる世界へと旅立ちます。 マカオ~ゴア~喜望峰~リスボンに着くころには既に2年以上の歳月が経過していました。 大航海時代の中心として栄華を誇るポルトガルの首都リスボン、その入り口となるテージョ河が両手を広げ彼らを迎え入れます。ベレンの塔は前回もご紹介したマヌエル様式の美しい彫刻が施されています。高さ30メートル、日本では見たこともないような石づくりの見事な石の塔だったことでしょう。
天正遣欧少年使節団 中心は通訳のメスキータ神父
ベレンの塔

丘の上に建つサン・ロッケ教会に4人は滞在した

さて、今回はひとつの教会を皆様にご紹介したく書いています。 リスボンの中心部に建つサン・ロッケ教会です。前回ご紹介したリスボンとマヌエル1世の記事でも、リスボンを懐かしむお声をたくさん頂戴しましたが、意外とサン・ロッケ教会は訪れていないのかなと思います。
リスボン名物の路面電車。そのうちのグロリア線にのると丘の高台に建つ、思わず通り過ぎてしまうような簡素な外観です。1506年から1515年、前回ご紹介したマヌエル1世の時代に「マヌエル様式」で建てられた教会です。

サン・ロッケ教会外観
グロリア線
 

 

サン・ロッケ教会内観

その後にイエズス会が所有し、イタリア・バロック様式に建てかえたのは1553年。既にこのころは新大陸からの金、銀、香辛料で世界の主役へと躍り出ていたポルトガルです。その財を投じて壮麗な教会へと生まれ変わり、イエズス会の本部も置かれました。

フランシスコ・ザビエルもここを訪れていますし、日本にやってきたイエズス会の宣教師はほぼこの教会から、黄金の国ジパングへと派遣されています。 4人の少年使節団はリスボン滞在時、約1か月間はこの教会を宿舎としました。黄金色の彫刻で埋めつくされた祭壇、繊細な彫刻の美しさに言葉を失うほどだったはずです。

私も添乗の際、この教会を自由行動時に皆様をお連れしましたが、外観の素朴さとは対照的にその内観の美しさに言葉を失いました。と言ってもテレビも何もない時代に、遠く日本からやってきた4人の少年たちが圧倒的な教会の装飾を目の当たりにした感動とは比べ物になりませんが、、、



この教会を訪れた際に、思いもよらぬ歓迎がありました。
皆様と教会内部を見ていると、神父さんが近づいてきて、どこからだね?と。日本からですと答えると。手招きをして通常入ることができない出入口へと通され、上の階へと皆様と上がっていきました。屋根裏の倉庫のようなところだったのを覚えています。

そこで、明らかに日本のお城や武士たちの姿とともに描かれた宣教師の絵や、宣教師が熱心に布教をしている絵でした。「君たちと私たちは遠い昔からつながっているんだよと」。胸が熱くなりましたね。
4人の少年たちもきっとこのように心温まる歓迎を受けたんだと思います。神父さんに深く感謝を申し上げ、教会を後にしました。

近くにあるサンペドロ・デ・アルカンタラ展望台からは正面にサンジョルジュ城、そしてテージョ河。
​​​​​​​450年前にタイムスリップしたように時間を忘れて眺めていました。

アルカンタラ展望台

次回は、夏に爽やかなノルウェーです。ベルゲンと作曲家グリーグをお届けします。
お楽しみに!

次回更新予定:7月17日(金)
藤沢営業所所長:近 博之
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