2020年7月5日更新

第14回 リスボン(ポルトガル)と幸運王マヌエル1世

リスボンとテージョ川

リスボン(ポルトガル)と幸運王マヌエルⅠ世

ポルトガル・リスボン。
眼前には大西洋の大海原。そこへと悠然と流れ注ぐテージョ川。小高い丘には家々がひしめき合い、路地に吸い込まれるように路面電車が走ります。とってもいい街ですよね。
1495年~1521年在位・幸運王と呼ばれるマヌエル1世の時代はポルトガルの絶頂期
世界で最も輝ける場所がリスボンだったのです。
幸運王マヌエル1世

歴史の舞台は地中海から大西洋へ

1490年代、世界は激動の数十年を経験します。
日本は応仁の乱(1467年)から戦国時代へ。イタリアのフィレンツェは初期ルネッサンスから盛期ルネッサンスへ。いよいよダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが活躍する時代です。 1492年スペイン王の庇護のもとコロンブスは新大陸を発見します。

それまで世界の歴史は「地中海」がひとつの主役でした。
この海を制することこそが富をもたらすとされていました。それが180度変わったんですね。大西洋を渡ると新大陸へとつながる。それが証明された。同じ年の1492年、ポルトガルは世界で最初の地球儀をつくります。今はドイツにありますが、コロンブスの新大陸発見前の世界を地球儀にしたものです。
リスボン、自分たちの目の前に広がる大西洋こそが永遠の繁栄をもたらす!まさにその時代に王位についたポルトガル王マヌエル1世。
ポルトガル大航海時代の絶頂期にあったこともそうですが、6男でありながら、兄の事故死など偶然が重なり平和裡に王位に就いたことも「幸運王」と呼ばれる由来です。

 

リスボンから新大陸へ続々と出航

1497年7月にリスボンを出港したヴァスコ・ダ・ガマは、翌年インドのカリカットに到着。
これにより、ポルトガルから喜望峰を経てインドへ至る海上ルートが発見された。1400年代前半にエンリケ航海王子がアフリカ西岸、未知の海、恐怖の岬へと挑戦します。アフリカ大陸の金を発見するなどして始まった大航海時代はガマのインド航路発見という形で花開きます。香辛料という新たな富を得て、ポルトガルは絶頂期へと入ります。
ジェロニモス修道院 

マヌエル様式の最高傑作・ジェロニモス修道院

海上交易によって豊かになったマヌエル1世は芸術家や科学者を招き、庇護します。そんな中、1502年、マヌエル1世はある修道院の建設を命じます。この繁栄へと導いたエンリケ航海王子、インドへの海上ルートをポルトガルにもたらしたヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えたジェロニモス修道院です。

この修道院こそ王の名前がそのまま建築様式として呼ばれる「マヌエル様式」の最高傑作です。特に南門は海洋王国ポルトガルの誇りを見せつけるかのような壮麗な彫刻です。この彫刻のモチーフこそがポルトガルでしか見られない「マヌエル様式」の真骨頂です。天球儀、船の錨やロープ、鎖、遠い異国の見慣れない植物や果実、サンゴや海藻といった海にまつわるものなど、大航海時代を象徴するものばかりです。アジアやアフリカの新天地で見られる動物もモチーフとされ、新たな世界を自分たちは知っていることを誇示するかのように飾りたてています。

マヌエル様式
リスボンのトラム
それ以外にもマヌエル1世は隣国スペインでユダヤ人追放令によって追われたユダヤ人たちを奴隷の身分から解放しています。
幸運王と呼ばれるものの、その在位にポルトガルの繁栄の礎を築き上げ、500年経った今日でも私たちが「中世最も美しい街」とされたリスボンの姿を垣間見ることができることは決して幸運による産物ではありません。


次回もリスボン、その2です。
リスボン(ポルトガル)と天正少年使節団です。

お楽しみに!

次回更新予定:7月10日(金)
藤沢営業所所長:近 博之
前回の記事 「マヨルカ島(スペイン)とフレデリック・ショパン」はこちら
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