2020年6月19日更新

第12回 ジュネーヴ(スイス)とホドラー

ホドラー自画像

ジュネーブ(スイス)と孤高の画家フェルディナント・ホドラー

前回、前々回にご紹介したセザンヌやカイユボットと(記事のバックナンバーはこちら)ほぼ同年代の画家ホドラーをご紹介します。
1800年代後半といえばフランス・パリで印象派の画家たちが日の目を見始めたかどうかという頃であり、パリ万博により日本文化、つまりジャポニズムがフランスの辞書にも登場した、そんな時代です。
美術界は大きく大きく躍動しつつある時代、ホドラーはスイスに生まれ、成長していきます。

 

「パラレリズム」という独特の画風

ジュネーブで無一文から始まる孤高の画家

スイス人の画家フェルディナント・ホドラー(1853-1918)。
若くして親族全員が結核で亡くなってしまうという不幸に見舞われます。前回紹介したカイユボットもそうですが、家族全員が健康で、、、というのは本当に感謝しなきゃいけないことですだなあと、そして逆境から這い上がっていく強さをただただ感じずにはいられません。

さて、叔父の手ほどきもあり美術学校に通うようになり、25歳の時に1年近くスペインに滞在します。特にマドリッドのプラド美術館では大きなインパクトを受けています。家族との別れ、貧しさの中からようやく道が開け、世界一流の芸術に出会った衝撃です。
過去の巨匠たちの作品を研究し、伝統的な写実的画風を基礎にして、自己の内面を表現する瞑想的、神秘的傾向に向かうようになります。

リズム感のある身体性が特徴でもある

「パラレリズム」ホドラーが与えた芸術的影響

ホドラーの全盛期は印象派の少し後なんですが、ジュネーブというのはフランス語圏。もう30分も走るとフランスに入りますから、かなりパリの噂も入っていたはずです。
彼の生まれはベルンでドイツ語圏。そのままベルンにいたらひょっとしたら芸術の道にはすすまなかったかもしれませんね。フランスは近い、パリが賑やかだ!とは言っても決してジュネーブ、スイスを離れなかったんですね。

独自の画風を追求した。それが「パラレリズム」という画法でホドラー自身が命名しました。言葉にすると分かりづらいのですがどうかご勘弁ください。「似たような身振り、姿の人間を左右対称に描いてリズムを生じさせ、人間の心の中の神秘の世界を造形化する」という独特の画風です。
ちなみに、印象派の画家との交流はほぼなく、同時代のウィーンの世紀末画家クリムトとは互いに影響を与え合っています。ウィーンの芸術家グループとも親交が深く、ウィーンで展覧会も開催し話題にもなったのですが、だんだんとそのグループの画風からも遠ざかっていく。いわばどこにも属さない孤高の画家であり、ホドラー一人で「スイスの美術」というイメージをつくってしまったとも言えます。すごい芯の強さですよね。  

ちなみにスイスの画家ですから、風景画としてアルプスの絵も描いています。その山や雲を見ていると、当時流行していたジャポニズム、浮世絵の影響が少し感じられると論評されていてなるほどなあと思ってしまいます。一つの絵画作品から時代背景、国による違い、画家が生きた環境(自然)、交流した画家やそのグループ、いろいろ紐解いてみると面白いものです。

日本で出会えるホドラーの作品

倉敷の大原美術館でホドラー「木を伐る人」(1910)に出会えます。この絵はスイス国立銀行から紙幣のデザインを依頼された際の構図が基になっていて、最終的にはスイスの50フランにも利用されたという彼の代表作のひとつです。

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最後はついつい旅の宣伝になってしまいましたが、旅で皆様には非日常を感じていただき、胸をときめかせる日々が早く戻ってきてほしい、そう願う日々です。

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次回は、次回はマジョルカ島(スペイン)とフレデリック・ショパンです。
お楽しみに!
次回更新予定:6月26日(金)

藤沢営業所所長:近 博之
 
 
前回の記事 「パリ近郊イエール(フランス)とカイユボット」はこちら
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