2020年6月5日更新

第10回 エクスアンプロヴァンス(フランス)とセザンヌ

南仏プロヴァンス地方のエクスアンプロヴァンス(通称エクス)は港町マルセイユから高速道路を内陸に走れば30分ほど、ゴルドやルシヨンといったプロヴァンスの美しい村々で有名なリュベロン地方のすぐ南に位置しています。

水の街エクスに生まれた「20世紀美術を切り開いた画家」セザンヌ 

エクスはラテン語で「水」の意味。水源が豊富でローマ時代に噴水が多かったことが由来です。プロヴァンス地方と言うと、コートダジュールの輝く海、海岸線の散歩道、開放的な雰囲気、もしくはマルセイユのような活気ある港町をイメージしがちですが、そんな雰囲気とは全く違うのがエクスの魅力です。15世紀末までは神聖ローマ帝国統治下の独立国プロヴァンス伯爵領であり、大学設立も古く、文化、学問の街として栄えました。また、貴族の多い土地柄で保守的な性格の街でもあります。 1839年、後に「20世紀美術を切り開いた画家」、「19から20世紀美術の橋渡しをした画家」とも称されるセザンヌがこの街に生まれます。  
ポール・セザンヌ

エクスアンプロヴァンスはセザンヌの原点  

人口わずか14万人ほどの小さな街、水の街のとおり旧市街には100を超える噴水があります。中世から続く風情のある路地、海沿いとはまた違うプロヴァンスの柔らかな日差しに苔むした噴水が輝きます。小さな広場とカフェ、プラタナスの街路樹、これと言って有名な世界遺産がある訳ではないのですが、人々の営みと街の適度な息づかいがいい街だなあと思わせます。

「僕の夢は消えて、現実が戻る、僕はがっかり、心は悲しみ、眼前に立ちふさがる恐ろしい幻影、怪物のやつ、法律という名の」  

20歳のセザンヌが親友エミール・ゾラに宛てた手紙の一説です。父の厳しい教育のもと法律を勉強していたセザンヌは、絵画への情熱と現実との葛藤を手紙にしています。エミール・ゾラと言えば1870年代に自然主義文学を創始したフランスの小説家ですが、セザンヌとは1歳違いで同じ中学校に通っていました。  
誰にとっても少年時代の想い出は心の宝物、エクスで21歳まで過ごしたエクスの日々は彼の原点です。


動かずに待っていてくれる山、水、エクスの街  

22歳でパリにでたセザンヌは印象派展にも2回参加します。なお、ほぼ同年代の画家にルノワール、モネ、シスレーがいます。そして印象派の画風を教えてくれたのがピサロ。後に手紙の中でピサロは私にとっての神のような存在だったと綴っています。ただ、パリの生活にはあまり馴染めず、参加した第3回印象派展の酷評も耐え難く、結局、1878年に約17年に及んだパリ時代にピリオドを打ち、その後はエクスに引きこもってしまいます。
エクスに戻ったセザンヌは父親がエクス郊外の館に用意してくれたアトリエを本拠地に制作を続けました。 47歳の時には友人のすすめで病気療養もかねてフランスのアヌシー湖畔のタロワール村に滞在しています。とっても静かで美しい村。ロンドンのコートールド美術館にある「アヌシー湖」もこの時に描いています。しかしセザンヌは「早くエクスに戻りたい」と漏らしていたほど郷土愛が強かったようです。 晩年のセザンヌが描き続けたのが有名な「サント=ヴィクトワール山」です。油絵44枚、水彩画43枚を残しています。描けども描けども山は描けずと言葉を残しているとおり、晩年のセザンヌは、少年の頃から見ていた風景、いつになってもじっと動かずに対象となってくれる山と向き合います。
柔らかな日差しが注ぐエクスアンプロヴァンスの街並み
エクスのマルシェ
学問、文化の中心だったエクスアンプロバンス

画商ヴォラールの個展と恩人ピサロの存在  

そんな折、1895年、画商ヴォラールが開催したセザンヌの個展が大成功を収め、セザンヌの名は一挙に知られるようになります。なお、ここでも登場するのがピサロです。
画商ヴォラールにセザンヌの個展開催を働きかけたのはピサロでした。 水の街エクスがあったからこそ生まれたセザンヌの代表作「水浴の男たち」、また、「リンゴでパリを驚かせてやる」と語っているように、リンゴもセザンヌが最も好んだ題材でした。精力的に制作活動を続け、時代は19から20世紀へ。印象派をピサロから学んだセザンヌは晩年のエクス時代にキュピズムへと続く20世紀絵画の扉を開いていきました。

次回も印象派を続けましょう。パリ(フランス)とカイユボットです。 お楽しみに!
次回更新予定:6月12日(金)

藤沢営業所所長:近 博之  
 
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