2020年5月29日更新

第9回 ハバナ(キューバ)とヘミングウェイ

今も昔も変わらない、ハバナの街並み

ハバナを愛し、酒を愛した不屈の男・文豪ヘミングウェイ  

カリブ海に浮かぶ国キューバ。その首都ハバナは1930年、40年当時、「カリブのモンテカルロ」と呼ばれ、アメリカ人を中心に多くの外国人で賑わっていました。
アーネスト・ヘミングウェイ、彼もそんな時代にハバナの地を踏みました。第一次世界大戦に参加、戦時下の経験をもとに描いた、「武器よさらば」発刊から数年が経ち、既に人気作家の道を歩んでいました。
 
ヘミングウェイが愛したダイキリ

大男がハバナの街を闊歩する  

ヘミングウェイの身長は183cm、体重85kg、壮健な体格でした。
黒髪にハンサムな大男は照りつけるハバナの太陽のもと、ふらりふらりと酩酊状態でよく歩いていたと言われています。

彼が愛したものは釣り、狩猟、闘牛、そしてお酒。キューバはサトウキビの世界的な生産地。これを原料にした蒸留酒がラムです。ヘミングウェイは通常のダイキリのラムをダブルにしたフローズンタイプがお気に入りで、今でも「パパ・ヘミングウェイ」の名で置いているバーもあります。
このカクテルをこよなく愛し、早朝の執筆を終えた彼は酩酊への誘いをとことん楽しんだと言います。


ハバナでヘミングウェイの足跡を辿る  

ハバナを訪れた方ならわかると思いますが、今もなお「カリブのモンテカルロ」と呼ばれた当時の雰囲気が十分残っています。その象徴がクラッシックカー。まだまだ現役でバンバン走っているんですね。

そんな車が行き交う海辺の道から一本入った旧市街、メインストリートのオビスポ通りに面しているのがヘミングウェイの定宿「アンボスムンドス」です。鮮やかなピンク色の建物、511号室が彼の部屋。今も当時のタイプライターなどが展示されています。そして、ここから歩いて10分もしないところにあるのが行きつけのバー「ラ・フロリディータ」です。

「我がダイキリはフロリディータにて」と賛辞を残しているほど。彼の執筆は決まって夜明けから早朝まで。プールで泳いだ後、いつものように酒を楽しんだようです。このバーのカウンターの奥に決まって座る席があり、今は彼の銅像が置かれていて観光客も多く訪れます。そこで写真を撮るのもいいのですが、私のおすすめは、ヘミングウェイに敬意を表し、フローズンダイキリ(もしくはノンアルコールカクテル)で喉を潤してから旧市街を歩くと、何となくヘミングウェイが愛したハバナに溶け込めるような感覚になれる、、、
クラッシックカーが今も走る
行きつけのラ・フロリディータ

ハバナ郊外、「眺めのよい場所」に建つ彼の邸宅  

フィンカ・ビヒア、意味は「眺めのよい場所」。ヘミングウェイの旧邸宅はそう呼ばれています。
ハバナから南東に10㎞ほど走ったところにあります。定宿アンボス・ムンドスで「誰がために鐘は鳴る」を書き上げた彼は1941年にこの自宅を購入します。アフリカ時代に狩猟を楽しんだことがうかがえる剥製が多く飾ってあり、彼の書斎、8000もの蔵書、庭には毎朝1キロ近く泳いだとされるプールがあり、ヘミングウェイの息づかいが聞こえてきそうで、私も大好きな場所です。
鳥のさえずりとともに執筆を始めた寝室兼書斎
彼の邸宅「フィンカ・ビヒア」
ヘミングウェイとカストロ

「パパ・ヘミングウェイ」と呼ばれた葛藤の中で  

時代はすすみキューバ革命(1959)の不穏な空気が近づいてきます。それとともに彼の体にも2度の航空機事故による後遺症、糖尿病、視力、聴力の低下などの影が忍び寄ります。「パパ」と呼ばれ人々に愛された頑強なかつての自分、愛したキューバに漂う不穏な空気と自身の老い、そんな葛藤の中でキューバを去る日がやってきます。アメリカに戻った彼は2年後、自ら62年の生涯を閉じました。

次回は南仏・エクスアンプロバンスとセザンヌを予定しております。
お楽しみに!
次回更新予定:6月5日(金)

藤沢営業所所長:近 博之  




 

私のお気に入りの一枚「笑顔がとってもまぶしいキューバの人々」 

教育レベルは高い、医療も充実している、物質的な豊かさはないものの、生活の豊かさを国からしっかり享受しているキューバの人々。どこに行ってもその笑顔が印象的。若い学生達も元気いっぱいでした。