2020年5月22日更新

第8回 メキシコシティ(メキシコ)とディエゴ・リベラ

この連載もヨーロッパ中心でしたが、今回は読者の方からの大変ありがたいリクエストもあり、メキシコへ飛んでみました。今回はメキシコが生んだ偉大な壁画家ディエゴ・リベラとメキシコシティです。
 

メキシコシティは湖の上に建っている!?  

「テノチティトラン」という地名をご存知でしょうか?
メキシコ中央高原に14世紀から16世紀まで繁栄したアステカ帝国の都が「テノチティトラン」です。湖に浮かぶ島に建設された町だったんですね。そこにやってきたのがスペイン人です。1521年にアステカ帝国を滅ぼしたスペイン人はこの湖の島を破壊し、湖を埋め立て新たな町を造りました。それが、現在のメキシコシティです。
その中心がソカロ広場であり大聖堂です。大聖堂を訪れると、埋め立てた証拠に床がゆがんでいることがよくわかります。
地盤沈下しているんですね。私たちの足の下はかつてのアステカの都があり、湖があった証拠です。
 
国立宮殿の中にディエゴリベラ最大の壁画がある
ディエゴ・リベラ

国立宮殿内、ディエゴ・リベラ最大の壁画「メキシコの歴史」  

ソカロ広場、大聖堂のある一角に建つのが国立宮殿です。大統領の執務室、大蔵省などが入っている建物ですが、観光客である私たちも入り口で荷物チェックを受ければ建物の中に入ることができます。
中央の大階段をのぼった踊り場に姿を見せるのがディエゴ・リベラによる最大の壁画「メキシコの歴史」です。
国立宮殿内の壁画「メキシコの歴史」
1925年から35年にかけて描かれた作品で、その壮大さには圧倒されます。  
ディエゴ・リベラ(1886‐1957)が生きた時代はヨーロッパが芸術面で新たな潮流を迎え、その中心がパリでした。印象派が成熟期を迎え、エコール・ド・パリと呼ばれる様々な国の画家たちが自由な作風で表現した時代です。ディエゴ・リベラもこの頃パリに留学し、ピカソや藤田嗣治とも深い親交がありました。メキシコへ戻る直前にフランスからイタリアに渡り、教会建築の中にある多くのフレスコ画を目にしたと言われています。

1921年にメキシコシティに戻り、その4年後に手がけたのが「メキシコの歴史」です。なぜこの作品にこだわったのか?それは自分のルーツであるマヤ、アステカの歴史、そして長く続いたスペイン統治時代。そこから独立を果たしたのが1810年。独立から100が経ち、激動の歴史を理解している市民がどれだけいるのだろうか。当時のメキシコは識字率が低かった。そして誰もが自由に入り、見ることができる場所に目で見てわかる絵として歴史を語り継ごうと。皆さんもこの作品を前にしたら、結構な時間があっても足りないくらい見入ってしまうと思います。

アステカ帝国時代の街並みや生活ぶりが脈々と絵の中に描かれ、独立戦争の英雄たちが描かれ、また、ディエゴ・リベラの妻であり世界的にも有名な画家フリーダ・カーロも絵の中にあの特徴的な太い眉毛で登場しています。
ちなみにメキシコシティにはフリーダ・カーロ美術館もあり、ぜひ訪れたいただきた場所ですね。
壁画の中でアステカ帝国時代の生活がわかる
側面にも彼の壁画が
画家フリーダ・カーロはディエゴリベラの妻

私のお気に入りの映画「フリーダ」

ディエゴ・リベラの妻フリーダ・カーロ。彼女の47歳の生涯も壮絶です。2002年のアメリカ映画「フリーダ」をみると、ディエゴ・リベラとの関係や当時のメキシコシティの様子がわかります。またフリーダ・カーロがなぜそこまで魅力的だったのか、非常に興味深い作品で個人的なお気に入りです。
さて、次回はせっかく中米メキシコに来ましたので、お隣のキューバに行きます。
次回はハバナ(キューバ)とヘミングウェイを予定しております。
お楽しみに!

次回更新予定:5月29日(金)

藤沢営業所所長:近 博之
 
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