2020年4月10日更新

第2回 イスタンブール(トルコ)とスレイマン1世

スレイマン1世

オスマン帝国最盛期の壮麗王 1453年オスマン帝国メフメト2世は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻略し、ついに東ローマ帝国を滅ぼし、イスタンブールを手中に収めます。

オスマン帝国500年の歴史の中で最盛期の王がスレイマン1世です。1520年から1566年まで46年の長期政権で、13回もの対外遠征で軍事的成功をおさめますが、法律、文学、芸術、歴史の発展、整備などにも優れて手腕を発揮します。

人の強みを見極める能力に非常に長けていたとされ、イェニチェリという傭兵にいたミマール・シナンを宮廷お抱えの建築家に抜擢し、今もイスタンブールの丘に建ち金閣湾を望む壮麗なスレイマニエ・モスクが完成します。

1520年から1566年まで46年の長期政権で、13回もの対外遠征で軍事的成功をおさめますが、法律、文学、芸術、歴史の発展、整備などにも優れて手腕を発揮します。人の強みを見極める能力に非常に長けていたとされ、イェニチェリという傭兵にいたミマール・シナンを宮廷お抱えの建築家に抜擢し、今もイスタンブールの丘に建ち金閣湾を望む壮麗なスレイマニエ・モスクが完成します。
また、トプカピ宮殿に後宮(ハレム)を移築させ、皇帝は妻を持たないそれまでの慣習を破り、奴隷だったロシア系と言われるロクセラーナを妻とした。そしてオスマン帝国史上、最も権力を持った女性がスレイマン1世の妻ロクセラーナだったと言われるほど、人材の登用にも新しい潮流を存分に発揮した。 イスタンブール旧市街には彼の足跡が今も至るところで見ることができます。

次回はパリ(フランス)とアンリ4世を予定しております。
次回更新予定:4月17日(金)
お楽しみに!

藤沢営業所所長:近 博之
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イスタンブール