2020年6月11日更新

脚光を浴びる日本遺産 江戸時代、経済の大動脈を築いた北前船の物語

和船の建造技術や歴史を伝えるために、2005年に建造された復元弁才船「みちのく丸」
商人文化が発達した江戸時代、大阪と北海道を結んで日本海沿岸を行き来した帆船のことを、「北前船」と呼びました。輸送のみならず商売も行った北前船は、寄港地に大きな繁栄をもたらしました。一攫千金を夢見るたくましい船乗りたちに操られ、荒波にもまれながら日本海を旅した北前船。日本海沿岸には今もその面影が感じられます。
北前船船主屋敷 蔵六園(石川県観光連盟)

大阪から北海道へ日本海をゆく木造帆船
江戸時代中期、「天下の台所」と呼ばれた大阪や江戸と、北海道(蝦夷) を結ぶ日本海側のルートを商船が行き交い、経済の大動脈を築き上げていた頃がありました。支給自足が主流だった時代が終わりを告げ、商人文化が花開き、江戸や大阪は都市化が進んで、幕府は各地の年貢米を効率よく運ぶ必要に迫られました。そのため、次々と海の航路が開発されていきました。

航路には、瀬戸内海を通って関門海峡を抜け、山陰、北陸、東北沿岸を北上して北海道に辿り着く「西廻り航路 」と、津軽海峡を通って江戸へ向かう「東廻り航路」の大きく2種類がありましたが、やがて太平洋側を北へ向かう黒潮の流れに逆らって走る東廻りより、安全かつ低コストの西廻りが主流となり、この西廻り航路を走る弁才船(木造帆船)が「北前船」と呼ばれるようになりました。京都や大阪が「上方」と呼ばれていた時代、上方の人々が北陸地方を指して呼んだ言葉が「北前」だったのが、名の由来のひとつとされます。

西廻り航路の原型が作られたのは1639年、加賀藩主の前田利常が米を大阪に輸送するため、琵琶湖を経由する内陸ルートをあらため、海路を選んだのがきっかけでした。その後の1672年商人の河村瑞賢が幕府の命を受けて、加賀藩が考案したルートの途中に寄港地を定めて整備し、それが北前船の航路として定着していきました。
函館山を背景に立つ高田屋嘉兵衛像(函館国際観光コンベンション協会)

一攫千金を目指して海へ繰り出した船乗りたち
北前船の特徴は、単なる米の輸送に留まらず、船主自身が寄港地で多種多様な商品を仕入れ、別の寄港地で売ることで莫大な利益を生んだところです。北海道に向かう「下り船」には、砂糖、酒、鉄、薬、衣類や畳表など、あらゆる生活物資が積み込まれ、大阪を終着地とする「上り船」は主に北海道で捕れた海産物を運びました。北海道産の昆布や身欠きニシンは、西日本で昆布だしやニシンそばといった多彩な食文化の発展をもたらしました。ニシンは西日本で綿を栽培するための肥料としても高く売れました。その綿を使ってできた西日本の衣類が、北日本で高価な商品に化けました。

「千石線、一航海で千両(約1億円)稼ぐ」とは、往年の北前船の繁栄ぶりを示した言葉で、航海するたびに利益が倍になることから、陸では「バイ船」とも呼ばれました。北前船の商売は、各地の価格差を前提としており、儲かるか否かは船主の才覚にかかっていました。難破したらすべてを失うリスクもありながら、一攫千金を夢見て多くの船乗りが北前船に乗り込み、「日本版・大航海時代」といえるほどの、ロマン溢れる海上交易の黄金期が到来したのです。

貧しい出自の者が、やがて豪商になり、世を動かすといった例もありました。1769年、淡路島の農家に生まれた高田屋嘉兵衛は、18歳で廻船業者を志し、当時、最大級となる千五百石積(約230トン)の北前船「辰悦丸」を入手すると、地元の塩や木綿などを酒田で米に変え、米を函館で売り、函館の海産物を大阪で売るという手法で巨万の富を築きました。嘉兵衛は交易拠点だった函館の町に利益を還元し、さらに緊張関係にあったロシアと交渉して平和的な解決に導くなど彼の様々な功績は、司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」にも生き生きと描かれています。

物資だけでなく、文化も運んだ北前船
北前船は物資だけでなく、各地に様々な文化の往来をもたらしました。航海には悪天候がつきものでしたが、その過程で「風待ち」という風習が生まれ、次の航海を待つ間、船乗りたちは各地の民謡を唄うようになりました。たとえば北海道江差の「追分」は信州の「馬子唄」が、新潟の「おけさ」は熊本県牛深の「ハイヤ節」が源流だと伝えられます。
明治を迎えてもなお盛んだった北前船でしたが、明治20年頃に差しかかると、鉄道輸送の台頭もあり、緩やかに衰退していきました。日本海沿岸の港町は、時代の波から取り残されるように、港に向かって瓦屋根の家々が連なる小路や商屋、蔵、船乗りが航海の無事を祈った神社仏閣など、往来の「船主集落」の姿をとどめて、現在に至ります。

2017年、文化庁は有形、無形の文化財を地域やテーマごとに認定する日本遺産に、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間〜北前船寄港地・船主集落〜」と題して、11市町を選びました。2018年に27市町が追加され、昨年さらに7市町が加わったことで、合計、で 45市町が日本遺産の一部となりました。物資を載せ、荒波に繰り出した北前船に思いを馳せながら、船主集落の面影を訪ね歩けば、日本の歴史をまた新たな角度から見つめ直すことができるでしょう。
かつて北前船交易で繁栄した佐渡島宿根木の集落

主な参考文献
■『知るマップ 道と時代を巡る旅』(東京地図出版 2009年)
■『北前船、されど北前船ー浪漫・豪商・密貿易』(北海道出版企画センター 2017年)
■『歴史街道 2007年5月号』(PHP研究所)