2020年1月29日更新

自然との共生を目指した「アメリカの」建築家
フランク・ロイド・ライト

フランク・ロイド・ライトは19世紀末から20世紀にかけて活躍したアメリカの建築家で、旧帝国ホテルや自由学園明日館の設計を手掛けるなど、日本ともゆかりの深い人物です。自然との共生を目指したライトの建築は、近年の自然環境保護に対する意識の高まりとともにその価値がいっそう見直され、2019年7月、「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として8軒の建物が世界遺産に登録されました。今回はライトの生涯と、代表作についてご紹介します。


(写真・右:フランク・ロイド・ライト ©Jean-Christophe BENOIST)


建築家を目指してシカゴへ

1867年、ライトは大平原地帯と呼ばれるアメリカ中西部、ウィスコンシン州の町リッチランドセンターで生まれます。父ウィリアム・ライトは音楽好きの牧師、母アンナは教育熱心で、生まれてくる子は建築家にすると決めていました。長子ライトは母の計画どおり、当時最先端の積み木「フレーベルの恩物」で遊びながら創造力を育みます。また叔父の農場で夏を過ごしながら、雄大な平原と空の下で草木や移り変わる光を観察して楽しんでいたといいます。  18歳のときに両親が離婚し、ライトは父に代わり建築事務所で働く傍ら、ウィスコンシン大学マディソン校工学部に通い建築の勉強を続けます。しかし窮屈な学校に嫌気がさし、1887年に中退。父が残していった本と、母から贈られた毛皮の襟巻きを質に入れて作った7ドルを握りしめ、シカゴへ旅立ちます。自らの意思で建築家を目指した、第一歩でした。

プレーリースタイルの誕生

この頃のアメリカは1865年の南北戦争終結、大陸横断鉄道の開通と技術革新による工業化など、経済成長の中にありました。シカゴはその中心を担う、アーク灯が輝く大都会。ライトは建築事務所で働きながら1889年に結婚し、オークパークに「フランク・ロイド・ライト自宅兼スタジオ」を建設します。1892年に独立し、「第一黄金期」と呼ばれる1910年までに、フレデリック・C・ロビー邸やユニティ・テンプルなど、125軒の建物を手掛けました。
プレーリースタイルを代表する
「フレデリック・C・ロビー邸」(世界遺産)
「浮世絵は不必要なものを省くことを教えてくれた」とライトがのちに語るように、浮世絵に魅せられた彼の建築は次第に機能的でシンプルになります。外壁の代わりに大きなガラス窓を並べ自然光をふんだんに取り入れ、室内の壁を取り払い、暖炉を中心とした広大な団らんスペースを設けるなど、ライト独自のスタイルが形作られ、自身が育った大平原に溶け込むような平らなデザインの「プレーリースタイル(草原様式)」という、広大なアメリカならではの建築スタイルも誕生しました。

1905年には初めて日本を訪れ、浮世絵など美術品を集塊する傍ら、畳にヒントを得て、帰国後に3×3フィートを1区画として、予算や敷地面積に応じて区画数を設定できる建売住宅を提案するなど、アイデアマンでもありました。

「落水荘」建設で再び表舞台へ

建築家として名を上げたライトは、しかし1909年にチェニー夫人との不倫・駆け落ち騒動で評判を落とし名声を失います。故郷ウィスコンシン州に1911年、自宅「タリアセン」を建設するも3年後、留守中に使用人が夫人と2人の子どもや弟子ら7人を惨殺して放火するという大事件が発生。失意のライトは1917年に舞い込んだ東京・帝国ホテルの建築依頼を受けて日本へ赴きますが、膨大な予算オーバーで経営陣と衝突し、ホテルの完成を見ないまま帰国。自伝の執筆や浮世絵を売り、建築家養成塾「タリアセン・フェローシップ」(1932年)を開設して生計を立てていました。
ライトの最高傑作とされる「落水荘」
(世界遺産)
そうしたなか、百貨店の支配人エドガー・J・カウフマンがライトに別荘の建築を依頼し、これがライトの最高傑作とされる「落水荘」(1936年)の誕生に繋がったのです。齢70歳にしての復活劇でした。

落水荘はペンシルバニア州ピッツバーグから車で2時間ほどの地にあります。カウフマンの注文は「滝を望む建物」でしたが、ライトは「滝の上に家を建てる」と提案。仰天するカウフマンに、「自然は神にも等しい」と考えるライトは「滝とともに暮らし、生活の一部としてほしい」と熱く説得したといいます。  完成した建物は、滝の流れる断崖に背中を張り付けるように建ち、滝の上にせり出したバルコニーが自然の岩棚と連鎖して渾然一体となり調和を醸す、見事なものでした。

室内の床には現地で採取した岩や石が使われ、室内に飛び出した大きな自然の岩は、そのままくり抜かれ暖炉に仕立てられています。ライト建築を特徴づける壁一面の窓からは光がふんだんに射し込むと同時に外の景色との境界を曖昧にし、室内にいながら自然に抱かれているような感覚をもたらします。さらに室内のどこにいてもせせらぎ音が聞こえ、まさに「滝とともに暮らす」建物となっているのです。これは内部見学をして初めてわかる特徴で、外からはまずわかりません。
2度の火災に遭い、数度の改築がなされた「タリアセン」(世界遺産)
落水荘は、当時誕生したグラビア誌に取り上げられ、そのフォトジェニックな魅力で話題が沸騰。ライトは社交界に復帰し、アリゾナ州の砂漠に立つタリアセン・ウエストをはじめ後期の代表作を次々と手掛けます。  一方でジェイコブス邸に代表される、小規模かつ機能的で、値段も手ごろな物件もつくりました。カーポートを初めて備えたこの建物を、ライトは「アメリカ人の家」を意味する「ユーソニアンハウス」と名付けます。購入客の一人の「私はこの家に住むまで、日々日が長くなる季節の変化に気づくことはなかった」という手紙からもわかるように、小規模建築でも自然との共生を目指すライトの哲学は生かされているのです。


最後の仕事であるニューヨークのグッゲンハイム美術館の完成を見ることなく、ライトは1959年に92歳で世を去りました。彼が残した現存する約400軒の建築物はフランク・ロイド・ライト財団を中心に保全活動が進められ、現在74軒が一般公開されています。
 

フランク・ロイド・ライトの建築を訪ねる旅 (2020年1月29日現在)

新世界遺産「タリアセン・ウエスト」も訪ねる 「聖地セドナとサンタフェの旅」はこちらから
「フランク・ロイド・ライトの名作「落水荘」とオハイオ・ケンタッキーの船旅」はこちらから
グッゲンハイム美術館を訪ねる 新・ニューヨーク滞在の旅

 
グッゲンハイム美術館(世界遺産)
主な参考文献
■『フランク・ロイド・ライト 建築は自然への捧げ物』(著/大久保美春 ミネルヴァ書房 2008年)
■『フランク・ロイド・ライト最新建築ガイド』(編著/フランク・ロイド・ライト建築物保存協会、ジョエル・ホグランド 訳/斎藤栄一郎 エクスナレッジ 2018年)
■『フランク・ロイド・ライト 大地に芽ばえた建築』(著/富岡義人 丸善 2001年)
■『落水荘』(著/フランク・ロイド・ライト(設計) ロバート・マックカーター(解説) 訳/リリーフシステムズ 同朋舎出版 1995年)