2018年3月13日更新

整形美か風景美か ヨーロッパの庭園史

ヨーロッパを旅していると、様々な庭園に出会います。旅慣れた人は、これらの庭園がいくつかのタイプに分かれることに気づかれるのではないでしょうか。それは「様式」によるものです。「庭園」の考え方や流行は時代によって様々に変遷してきました。ヨーロッパ、とくにイギリスを中心にその歴史を振り返ってみましょう。


イタリアで花開いた庭園文化

庭園の始まりは古代といわれます。古代の庭園として有名なものといえばバビロニア王国の空中庭園でしょう。これは、紀元前、ネブカドネザル二世が、故郷の自然を恋しがるペルシャ出身の妻のために作らせたものといわれます。イギリスでは、ローマ帝国占領時代にローマ風の庭園が作られていたことが発掘調査からわかっています。庭には、地中海原産の植物が植えられていたとか。庭園作りには、望郷の念も込められていたのかもしれません。

中世における庭園は特権階級のものでした。王侯貴族は、自らの富を注ぎ込み、競うように庭園を作ります。世界各地に残る宮殿の多くが美しい庭園を有しているのはそのためです。  当時の庭園は、高い塀に囲まれた安全で快適な場所に整然と作られたものです。正方形や長方形、完全な円形といった幾何学模様が組み合わせられ、植物も直線的に刈り込まれました。植物を動物などの形に見立てた「トピアリー」という刈り込み方法が生まれたのもこの頃です。
(上)ハンプトンコート宮殿(下)ベルサイユ宮殿
このように「フォルム」を重視した庭は、「整形庭園」と呼ばれますが、ギリシャ・ローマ文明を色濃く継承するイタリアで生まれたことから、「古典主義庭園」ともいわれます。ロンドン近郊のハンプトンコート宮殿庭園がその代表例といえるでしょう。一方、聖職者たちは、瞑想のため木と泉を備えた庭園を作るとともに、野菜や果物を栽培したり、儀式に使用する花を栽培したりする実用の庭を作りました。

こうした古典主義的な庭園をさらに発展させたのはフランスです。17世紀後半のフランスでは、広い平地を利用した豪華絢爛な大庭園様式が花開きます。権力者たちは競うように、広大な敷地に左右対称の人工的なデザインを施した大規模な庭園を作りました。その最たるものがベルサイユ宮殿の庭園です。首都のベルサイユ移転という野望を持つルイ十四世は、庭園作りに大きな情熱を傾けました。標高差30メートルの宮殿と大水路の間にはいくつものテラスと階段状の花壇が造られ、並木道は生垣で装飾されました。  ベルサイユの影響は甚大でした。ヨーロッパ各国の王侯貴族は皆こぞって「自分のベルサイユ」を欲し、各地にベルサイユに似た庭園が生まれることになります。


英国式庭園の誕生と広まり

しかし、その後のヨーロッパには、この「作り込まれた」庭園に対する反発や嫌悪感が生まれます。こうした風潮を受けて18世紀にイギリスで誕生したのが「英国式庭園」です。これは、「風景庭園」という別名の通り、自然の景観美を取り入れた庭園です。

この独自の形式の誕生は、17世紀末からのイギリスの歩みと無関係ではないでしょう。ヨーロッパの諸大国が絶対王権の支配下にある中、イギリスは、議会を中心とした新しい政治の形を実現し始めていました。産業革命により人々を都市に吸い取られた田園には、新興貴族や急速に富を蓄えた中産階級層によって、新しいスタイルの庭が作られ始めます。彼らにとって整形庭園は支配者の象徴。そのため、「フォルム」を壊し、人工ではあるものの、自然のままに似た風景の庭園を作り出したのです。広大な平地を有するフランスと、丘陵地の多いイギリスという地理的特徴もまた両者のスタイルを生んだ要因かもしれません。造園家たちは、直線や完全な円ではなく、なだらかな起伏や不規則に曲がった線を組み合わせて庭園を作りました。これまで壁の中に作られてきた庭園は、外に開かれた「自然」の庭となります。
ブレナム宮庭園
こうした風景庭園の極致といわれる庭園の一つが、イギリスのオックスフォード郊外に792万平方メートルの敷地を持つブレナム宮庭園です。初代マルボロ公爵が造らせた整形庭園を、造園家の巨匠とされるランスロット・ブラウンが「ブラウン魔術」ともいわれる技術を駆使し、湖を中心に樹林を配した風形庭園に作り替えました。  風景庭園は18世紀にスポーツとして確立した「キツネ狩り」の狩り場の役割も兼ねました。18世紀末には、起伏に富み、陰影のある風景を庭に作り出す「ピクチャレスク」な庭も流行します。この流行は一時的なものに終わりますが、このとき生まれた「カントリー・コテージ」への憧憬は、現代のイギリスに引き継がれているといっていいでしょう。

プラントハンター活躍の時代

イギリスの国力が増すとともに、世界各国から未知の植物を採集して育てるという役目も庭園が担うようになりました。
キュー王立植物園
この時代に造られた庭園に、現在「キュー王立植物園」として一般公開されているキュー・ガーデンがあります。ロンドン南西部に位置するこの庭園は、ジョージ三世の母オーガスタの私設植物園として始まったものです。当初は、1761年建築家ウィリアム・チェンバーズが手がけた中国風パゴダなどの異国趣味が注目を集めましたが、「自然史の父」といわれるジョゼフ・バンクスが顧問に任命されて以来、科学的な園芸研究の中心的存在となります。バンクスの指導の下、多くのプラントハンターが世界各地に派遣されました。園丁のフランシス・マッソンが南アフリカから持ち帰ったゼラニウムがのちに改良されて広まるなど、ヨーロッパの園芸文化に多大な影響を及ぼした植物も少なくありません。

英国式庭園は、かつてイギリス領だった国々でも見られます。カナダのブッチャート・ガーデンや、ニュージーランドのイーデン・ガーデンなどがその代表例です。  近代になると、庭園は庶民にも手が届くものとなり、各家庭に小さいながら庭が作られるようになります。同時に各都市には、公の憩いの場として美しい花壇を備えた公園が登場、人々の目を楽しませるようになりました。  人間は、長い歴史の中で都市を作り、文明を築いてきました。そして、その過程で自然を失っていきます。その失われた自然を取り戻すかのごとく、勤しんできたのが、「庭園」造りなのかもしれません。自然美と人口美を組み合わせて美しい景観を成す「整形庭園」か、自然に近づけた「風景庭園」か。都市に暮らす人々が試行錯誤して生み出した様式は今、現代の庭に引き継がれ、バランスよく取り入れられています。


主な参考文献
■『英国式庭園』(著/中尾真理 講談社 1999年)
■『ヨーロッパ庭園物語』(著/ガブリエーレ・ヴァン・ズレイン 監修/小林章夫 創元社 1999年)
■『英国庭園を旅する』(監修/赤川裕 文化出版局 1999年)
■『庭園史をあるく 日本・ヨーロッパ編』(監修/武居二郎、尼崎博正 昭和堂 1998年)