2017年3月1日更新

今も信仰を集めるイタリアの守護聖人 アッシジの聖フランチェスコ

アッシジの聖フランチェスコは、中世から現在に至るまで、長く敬愛されてきたイタリアの守護聖人のひとりです。フランチェスコの名は、現在のローマ法王が、2013年に即位した際、歴代の法王として初めてこの聖人の名を選んだことで、さらに世界に知られるようになりました。
 
アッシジ 聖堂前には出征するも夢破れたフランチェスコの像が


夢破れ信仰に目覚めた 心優しきイタリアの聖人  

聖フランチェスコは、1182年、イタリア中央部の町アッシジの裕福な織物商人の家に生まれ、恵まれた環境で陽気な青年に成長します。後に多くの弟子を持つ存在になるわけですが、この頃から人をひきつける魅力を備えていたのでしょう。彼は町の貴族や商人の子弟の間で常に中心におり、大盤振る舞いをすることも多かったようです。しかし、あるときを境に、大きく生き方を変えることになります。

当時、アッシジは戦乱の中にありました。長年の宿敵である隣町のペルージャと戦争が起こると、功績を挙げ騎士になることを願っていたフランチェスコは、このときとばかりに参戦します。しかし、夢は破れ、捕虜として1年間投獄され、この間に健康も損ねてしまいました。 フランチェスコの心に変化が起こったのはこの頃からです。仲間との酒宴にも心踊らず、夢や幻聴を経験することも増えていきました。そして、彼の将来を決める2つの出来事に遭遇します。ひとつは、当時不治の病とされていたハンセン病の患者に出会ったこと。何かに突き動かされるように患者を抱擁すると、言いようのない甘美な気持ちを味わいました。次は、荒れ果てた聖ダミアーノ教会で祈っているとき。彼は「フランシスコよ、わが家を建て直せ」という声を聞きます。声は、祭壇の上にかかる大きなキリストの十字架磔刑像から聞こえました。このとき以来、彼の心にはキリストの姿が宿ります。
聖堂内の壁画「財産放棄」の場面
©Fototeca ENIT
フランチェスコは家から貴重な品々を持ち出し、売り払って得たお金を修繕費に充てるよう教会の司祭に差し出します。自分の生活の糧は物乞いし、教会の修復に取りかかりました。こうした息子の行動に父は激怒、司教の前で、物乞いをやめなければ廃嫡すると宣言しますが、フランチェスコは持ち物も身に着けていた衣服も父に返し、主に従う決意を示しました(左絵画)。
聖堂の修道士たち
当初、町の人々は、放蕩息子が乱心したと見なしていましたが、彼が本気であることに気づくとその無所有、清貧の姿勢に共感を示し、弟子入りする若者たちも現れます。弟子の数が11人になると、ローマ法王に修道会の設立を認めてもらうべくローマに赴きました。このとき誕生したのが「小さき兄弟会」、通称「フランチェスコ会」です。彼らは、自我の欲求を捨てて神の望みだけを追い求め、すべての者を「兄弟」として受け入れ、「小さき者」として謙虚に生きることを信条に行動しました。俗世を捨て、彼のもとを訪れた令嬢キアーラを中心に誕生したのがキアーラ会です。

また、伝道とともに、平和の尊さを説き、都市間や人間同士の争いの調停にも尽力しました。異教徒との対話も積極的に行いました。中東や北アフリカにも足を延ばし、エジプトでは、十字軍と戦っていたイスラム教の指導者であるスルタンと面会します。スルタンは、フランチェスコの純粋さに心を開き、真摯に語り合ったといわれています。聖堂の遺品室には、エジプトで面会したスルタンがイスラム教徒の国の通行証としてフランチェスコに与えたとされる角笛も保管されているそうです。

後年、フランチェスコは、フィレンツェの東南にあるラヴェルナ山にこもり瞑想を行いますが、このとき、聖痕(十字架に架けられたイエスと同じ傷跡)を与えられます。日に日に衰弱したフランチェスコは、死期を悟るとアッシジに戻り1226年、44歳で亡くなりました。
 
サンタ・キアーラ教会
聖人の足跡が残るアッシジ 現代の平和のシンボルに

フランチェスコは、その死から2年後、異例の早さで聖人の位を与えられ、このときローマ法王の意向で建設が始まったのが、「フランチェスコ会」の総本山、聖フランチェスコ聖堂です。法王が建設を急いだ理由のひとつは、巡礼者が大勢詰めかけていたためだとか。このゴシック様式の聖堂は、上堂と下堂に分かれた珍しい構造となっており、下堂にはフランチェスコの遺体が眠っています。

アッシジにはそのほか、フランチェスコが仲間とともに修復したといわれる聖ダミアーノ修道院や、忠実な弟子キアラが眠るサンタ・キアーラ教会など、ゆかりの地が点在しますが、彼にとって最も思い入れの深い場所といえば、サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会でしょう。教会の中に作られた小さな教会ポルチウンクラは、長らく仲間と修道生活を送った場所であり、最期に戻ってきた場所でもありました。

イタリアを中世の縛りから解き放ち、新しい時代に導いた聖人として敬愛されるフランチェスコは、弱者や動物にも愛を注ぎ、自然を愛し、小鳥や魚に教えを説いたり、オオカミと人間を和解させたりといった多くの逸話が残されています。1979年、ヨハネ・パウロ二世が彼を「環境保護の守護聖人」としたのは、こうした逸話に由来し、その生き方によっても、宗教という枠を超えて現代の人々に受け入れられています。そんな彼の足跡を辿るべく多くの人が訪れるアッシジは現在、平和のシンボルといえる場所にもなっています。

 
主な参考文献
『アッシジのフランチェスコ 人と思想』(著/川下勝 清水書院 2004年)
■『アッシジのフランチェスコ ひとりの人間の生涯』(著/キラーラ・フルゴーニ 訳/三森のぞみ 白水社 2004年)
■『聖地アッシジの対話』(著/河合隼雄、ヨゼフ・ビタウ 藤原書店 2005年)
■『イタリア古寺巡礼─フィレンツェ→アッシジ』 (著/金沢百枝、小澤実 新潮社 2011年)