2017年11月22日更新

「添乗員中屋による講演会」より「アンコール王朝とクメール文化」

ワールド航空サービスでは、各支店・営業所で、旅がより楽しくなるためのイベントや講座「旅の集い」を毎月企画しています。研究者や学芸員、音楽家やダンサーなどのアーティスト、はたまた冒険家や写真家といった多彩なゲストをお招きしたり、大使館やレストランで開催したりと、工夫を凝らしてご案内しています。 人気講座のひとつである「添乗員中屋による講演会」から、9月8日に行われた「アンコール王朝とクメール文化」の様子をご紹介します(講座内容は、一部再構成しています)。

 
講演会の様子
皆様、こんにちは。今日は東南アジアを中心とした地域のなかで、カンボジアとクメール王朝の歴史をご案内させていただきたいと思います。

世界のいろいろな地域の歴史を並べてみると、東南アジアで文明が始まったのはだいぶ遅いことがわかります。メソポタミアやエジプトで文明が興ったのは紀元前4000年ぐらいから。南アジアではインダス文明、それから中国では史記によりますと夏王国、殷、周と続いていった。南米ではオルメカ文明、チャビン文化といったものがありました。ところが東南アジアの紀元前は、現在のベトナム北部にドンソン文化というのがかろうじてあったぐらいで、目立つ文明はありませんでした。

最初にできた国は紀元後2世紀頃、現在のカンボジアの辺りに興ったフナン(扶南)です。ちなみに同じ頃のヨーロッパは、ローマ帝国がいちばん栄えた五賢帝の時代になります。フナンは真臘(シンロウ)という国に征服され、のちに内陸の陸真臘と、海に近い水真臘の2つに分裂。陸真臘がのちのラオス、水真臘がカンボジアです。これが8世紀頃で、中国でいえば唐の時代ですね。当時インドネシアの辺りではボロブドゥールができあがっていましたが、アンコール王朝はまだありませんでした。

アンコール王朝誕生と その盛衰を辿る
四面仏頭塔を持つバイヨン寺院
西暦802年、ジャヤバルマン二世という人物が登場し、アンコール王朝いわゆるクメール王朝をつくりました。この頃はまだ小さな国だったのですが、その後だんだんと大きくなっていきます。1177年にはベトナムのチャンパーという国がアンコール王朝を攻撃。しかし1190年、チャンパー王朝を征服してカンボジア王朝が再び盛り返し、いよいよアンコール王朝の発展期に入っていくのです。そのときの王様がジャヤバルマン七世。彼の時代、アンコール王朝はベトナムを除くインドシナ半島ほぼ全域を支配します。これが12世紀末から13世紀にかけてのことです。(中略)この時代、インド発祥の仏教がアジア全体に広がっていきました。大きく分けると、インドからガンダーラ、バーミヤンといった地を経由して中国に入り、さらに朝鮮半島を通って日本に入っていった大乗仏教。そしていわゆる上座部仏教がスリランカから現在のミャンマー、そしてアンコール王朝、さらに現在のインドネシアへと伝わり、現在アジアの三大仏教遺跡アンコール・ワット、ボロブドゥール、ミャンマーのパガンができるのが、だいたい12世紀から13世紀前後となります。

ちなみに現在の東南アジアの宗教はというと、インドシナ半島の国はだいたい上座部仏教ですが、ベトナムは歴史的に中国の影響が強かったため、東南アジアで唯一大乗仏教です。そしてインドネシアはほとんどイスラム教ですが、バリ島だけはバリ・ヒンドゥーで、フィリピンはキリスト教と、同じ東南アジアでも国によって宗教はいろいろということをご理解いただきたいと思います。  

カンボジア、ラオス、タイを手中に収めていたクメール王朝ですが、14世紀の中頃からだんだんと弱体化。1238年にはタイ族のスコータイ王国が、1259年にラーンナー王国(チェンマイ王国)ができ、1283年にはモンゴル帝国、あのフビライ・ハンが攻めてきます。さらに14世紀には現在のタイにアユタヤ王国が、ラーンサーン王国という国が現在のラオスの辺りにでき、ついにはアユタヤ王朝がクメール帝国の中枢、アンコール・トムを攻撃。1431年、ついにクメール王朝は崩壊することになりました。

アンコール遺跡群とクメールの建築王
上)アンコール・ワット/下)第一回廊「乳海攪拌」
​クメール王朝(802~1431年)の建造物の中でもいちばん有名なのが、スーリヤバルマン二世によって12世紀の前半に造られたアンコール・ワットです。この王はトマノン、バンテアイ・サムレも造らせたのですが、これらはもともとはヒンドゥー教の寺院でした。ジャヤバルマン七世の時代になりますと、国の宗教がヒンドゥー教から仏教に変えられます。ですから、アンコール・ワットはもともとヒンドゥー教の寺院だったのを仏教寺院に変更したという経緯があるのですね。

アンコール・ワットに刻まれた彫刻を見ると、ヒンドゥー教のものが非常に多いということにお気づきいただけると思います。 時代とともに様々な建造物が築かれましたが、なかでもバイヨンを造ったジャヤバルマン七世は建築王とも呼ばれていて、寺院だけでなく、巨大な石橋なども造りました。石造りの建築物もあれば木造建築もありましたが、木造のものは今ほとんど残っておりません。(中略)

アンコール・ワットの第一回廊に入りますと、壁一面に彫刻が施されています。『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』など古代インドの叙事詩や、歴史物語が描かれているのです。なかでも有名なものに「乳海撹拌」があります。これはヒンドゥー教の天地創造の物語なのです。どういう話かというと、巨大な亀の背に大マンダラ山を乗せ、その山には竜王(ヘビ)ヴァースキーを巻きつけて、それを、神々とアスラ(悪魔)が両側から引っ張り合うんです。すると海全体が撹拌され、海の中のものが全部溶けてミルクのようになるから「乳海撹拌」。このミルクの海からいろいろな神様アプサラスやヴィシュヌ神の妃ラクシュミーらが生まれてくるという物語です。この彫刻や絵はカンボジア各地で見ることができます。

王に捧げられた天女の舞 アプサラ・ダンス

クメールの寺院に行きますと、どこの寺院でも踊る女神の彫刻がございます。踊っているのは、女神アプサラ。実は8世紀から9世紀には、すでにこのような「アプサラ・ダンス」が王様の前で踊られていたことがわかっています。
トマノン遺跡のアプサラ・ダンス
先ほどの乳海撹拌の天地創造のなかで、ミルクの海から最初に生まれてきた神様がこのアプサラ女神です。踊りの様子はアンコール・ワットの彫刻にも描かれていますから、訪れた際はぜひ彫刻にも注目してみてください。このアプサラ・ダンスを、今も、見ることができます。「クメール満月の宴3コース」では、トマノン遺跡の前でアプサラ・ダンスを踊ってくれるのです。遺跡の前で踊ると簡単に言いますが、世界遺産の遺跡ですから、ここで踊ってもらうのは本当に大変なことなのです。さらに踊りを観賞しながらディナーをお召し上がりいただくということは、なかなかできません。一定の人数制限があり、特別許可を得た場合のみやっと許される貴重な機会ですので、よろしかったらぜひご体験ください。


アンコール遺跡でアプサラ・ダンスを観賞する
18年 2/24発「アンコール遺跡・クメール満月の宴とハロン湾2泊クルーズの旅」はこちらから