2017年10月18日更新

水とともに歴史を重ねた ベネチア共和国の光と影

西洋と東洋が融合した華麗な文化を咲かせてきた水上都市ベネチア。貿易による巨万の富が成した比類なき美が愛されている一方で、ラグーナ(潟)に点在する島々という立地ゆえ、常に水の脅威にさらされてきたことはあまり知られていません。今回の旅のエッセンスは、水とともに歴史を重ねてきたベネチア共和国の光と影に迫ります。


水路を巧みに操り貿易都市として発展

ラグーナに点在する118もの島々を400の橋で結んだベネチア。まさに水の迷宮にふさわしいこの街が、初めて歴史上に登場したのは5世紀頃のことでした。アルプス山脈を越えて侵攻してきたフン族やゴート族といった異民族から逃れようとした近隣の人々が、アドリア海の湿地に無数の杭を打ち込んで浮島を造成し、その上に街を造って住んだのが始まりです。
水上の街では騎馬戦を得意としたフン族らが馬を乗りこなせず、また魚が捕れて飢えることもなかったため、移り住んだ人々は湿地からラグーナ内の島々へと居住区を拡大し生き残ることができました。実際に、今でもこの街の主要な交通手段は、当時と同じく徒歩や船です。ベネチアという名は、この地にもともと暮らしていた漁民が、「ウェニ・エティアム=新市民がどんどんやってきた」と話したことが由来と伝えられています。

やがて、水路をたくみに操って周辺との交易の役割を担うようになったこの街に目をつけたビザンチン(東ローマ)帝国が支配を強め、697年にベネチア初代総督(ドージェ)パオルッチォ・アナフェストを選出してベネチア共和国が誕生。1797年に滅亡するまでの1100年、まさに千年の都の歴史を紡ぐことになります。  当初はビザンチン帝国の支配下にあったベネチア共和国でしたが、帝国の力が弱まった8世紀には、ドージェも市民が人民会議で選ぶようになり、都市共和国(コムーネ)として力をつけていきます。9世紀以降は海運や造船が急激に発展し、やがてヨーロッパとアジアを結ぶ地の利を背景に、貿易都市として大きな力を持つようになります。ベネチアの商人たちは、ナポリやシチリアの小麦、ギリシャのレーズンを輸出する一方、東方からコショウや香辛料、織物などを輸入し巨利を得ました。十字軍時代にはその出港地としてますます支配力を強めていきました。

ベネチアのシンボルであり世界遺産にも認定されているサンマルコ寺院は892年、ビザンチン帝国の支配を拒み、宗教的な独立を図ろうとした2人の商人がサンマルコの遺体をエジプトから盗み持ち帰って街の守護聖人として祀ったことが起源。十字軍時代に東方から略奪した財宝が飾られた館内は金色に輝き、モスクを模した正面アーチなどとともに東西文化の融合を感じさせます。
また、サンマルコ寺院近くにはフェニーチェ劇場があります。1792年に建設された名門オペラハウスが、オペラ発祥の地イタリアの歌劇場の中にあってもその名を不滅のものとしているのは、新作上演に取り組む意欲的な姿勢。『椿姫』をはじめ、この歌劇場で初めて演じられ、現在、傑作オペラとして世界各地で上演されている作品が少なくありません。


アドリア海の女王 千年の栄華と落日
日本についてジパングの名で初めてヨーロッパに紹介した、『東方見聞録』の口述で知られるイタリアの冒険家マルコ・ポーロもベネチア共和国の出身です。マルコが東方へと旅立ったのは1271年。それから約100年後の1381年には地中海交易の覇権をめぐって衝突していた宿敵ジェノバ共和国を撃破し、「アドリア海の真珠」として君臨する全盛期を迎えることになります。

イタリアの強国の一つとなったベネチア共和国では、巨万の富を背景にルネサンス文化が花開きました。長さ3・5キロにおよぶ大運河沿いには、サンマルコ寺院をはじめ、9世紀の城塞を1309~1442年に改築して建てられたドゥカーレ宮殿など壮麗な建築物が建ち並びます。また、アカデミア美術館では、ティツィアーノやティントレットといったベネチア派巨匠たちの作品を多数展示。華やかな色彩が溢れる独特の絵画世界は、東方ビザンチン文化の影響を受けつつ、水の都という特異な環境を通して光や色に対する鋭い感覚が磨かれたためといわれています。
伝統あるレガッタは共和国時代を偲ばせます
1489年にはギリシャのキプロス島まで領地を拡大したベネチア共和国ですが、オスマン・トルコが勢力を伸ばしたことで衰退していきます。重要な海外拠点だったキプロス島とクレタ島を失い、東方貿易を独占できなくなったことで衰退は加速。フランス革命後の革命政府軍とヨーロッパ諸国との戦いは北イタリアも戦禍に巻き込みます。1797年に当時師団長だったナポレオンが勝利した際の条約で、ベネチアはオーストリア支配下となり、共和国は終焉を迎えました。

ベネチアという街を生み、人々の生活を支え、文化を開花させてきた運河。水路を使って街に近づくと、サンマルコ湾と大運河の間の島に巨大なドームを擁する教会の姿に目を奪われるはず。サンタ・マリア・デッラ・サルーテ大聖堂は、イタリア全土を襲いベネチアだけでも3分の1の人口を奪ったといわれるペストの終焉を願い、聖母マリアを称えるために、17世紀に建てられました。バロック様式の美しい造りと大きなクーポラはもちろん、地盤を安定させるために地下に無数の木杭が眠っているのもこの街ならではのエピソードです。



もっとも、街が華やかさを見せる一方で、14世紀以降のベネチアは自然バランスの悪化や土砂の堆積による陸地化から、どのようにラグーナを守るかという問題にさらされてきました。とくに近年は、地球温暖化や地盤沈下による海面上昇に悩まされ、「ベネチアを救え」を合言葉に水没を回避するための様々な対策が実行に移されつつあります。自然環境の中での人間の営みに大きな示唆を与えているのも、ベネチアの一面なのです。

 
主な参考文献
■『ヴェネツィアの歴史 共和国の残照』(永井三明著 刀水書房 2004年)
■『ヴェネツィアと水 環境と人間の歴史』(ピエロ・べヴィラックワ著 北村暁夫訳 岩波書店 2008年)
■『ヴェネチア人 沈みゆく海外都市国家史』(ヘルマン・シュライバー著 関楠生訳 河出書房新社 1895年)
■『世界文化シリーズ イタリア文化55のキーワード』(和田忠彦編 ミネルヴァ書房 2015年)
■『わがまま歩きツアーズ イタリア』(ブルーガイド海外版編集部 実業之日本社 2013年)