2016年5月19日更新

市民の熱意でよみがえったワルシャワ歴史地区

街の装飾も当時の姿で復元されました
世界中に数多くあるユネスコ世界遺産の中でも、極めて例外的なのが、1980年に登録されたポーランドの首都ワルシャワにある「ワルシャワ歴史地区」です。ワルシャワ歴史地区が評価されたのは、街全体が持つ歴史的な価値だけではありません。第二次世界大戦で灰に帰した街並みは完全な姿に再建されたとはいえ、ヨーロッパにおけるほかの中世の美しい街々に比べれば歴史が浅いことに変わりはありません。そんな街が世界遺産登録を果たしたのは、首都を再建させるためにレンガのひび割れ一つまで忠実に蘇らせたポーランド国民の不屈の情熱でした。今回の旅のエッセンスは、ワルシャワ歴史地区の再現までの道のりをひもといていきます。
 
見事に復活したワルシャワ旧市街
自由を求めるも
街の8割が灰に帰す  


中央ヨーロッパの政治、交通、経済の要衝である一方、旧市街にはかわいらしい石造りの建物やカフェが並び、中世の美しい街並みが広がるポーランドのワルシャワ。ただ、この街はいくども破壊と復興を繰り返してきました。古都クラクフからワルシャワに都が移ったのは1596年のこと。文化的なポーランド精神の高揚で、市中にはゴシック様式から新古典主義様式に至るまで様々に豪華絢爛な建築物が建てられましたが、18世紀にはロシア、プロシア、オーストリアによって分割されるなど主権を失い、やがて第二次世界大戦ではナチス・ドイツの侵略を受けることになります。  

激動の歴史の中でも最大の危機が、このナチスの侵略でした。1933年、ドイツの政権に就いたヒトラーは、ドイツのレーベンスラウム(生存圏)を東方に拡大することによって、食料・ 資源補給源を確保しようと画策します。ヒトラーは、オーストリア、チェコスロヴァキアに続き、1939年からポーランドに侵攻。ワルシャワはドイツ軍の電撃戦による空襲にさらされたうえ、肉体労働に従事すべき民族と位置づけられ、食品配給量が制限され、知識人や学生は逮捕されたり処刑されたりしました。  

そうしたなか、祖国を取り戻すために反旗をひるがえす決心をしたワルシャワ市民は、1944年8月、一斉に立ち上がります。自由を求め、63日間にわたる戦いが繰り広げられた「ワルシャワ蜂起」です。戦後、東側陣営の一員となったポーランドでは、この事実は長く封印されてきましたが、戦いは非常に苛烈なものでした。どんな攻撃にも怯まないワルシャワ市民の姿に手を焼いたナチスは、市街地の壊滅を実施。蜂起の背景には、ポーランド指導部の政策が深く関わっていたとされますが、蜂起者はテロリストとみなされ、一般市民を合わせて約22万人が犠牲になりました。さらに、爆弾と火炎放射器によって、市街の8割が破壊され、中世からの伝統ある建造物の大半が無残な瓦礫と化してしまったのです。とりわけ、蜂起の最後の砦となっ ていた旧市街一帯は徹底的に破壊しつくされました。
 
瓦礫と化したワルシャワ旧市街(1945年)
市民総出で協力
レンガの割れ目まで再現  


第二次世界大戦後、復興を目指すポーランドが、最初に着手したのが、この伝統あるワルシャワ歴史地区の再興でした。しかも、それは失われた街並みのすべてを、寸分たがわず再現するという驚異的な行為。実は、市民たちは建築学科の学生たちを中心に、戦前や戦時中、危険を承知で市街の隅々に至るまで入念なスケッチを残していました。18世紀のイタリア人画家カナレットが遺した風景画や建築物の図面、デッサンも再建に役立ちました。現在、 その資料の一部をワルシャワ歴史博物館で見学することができます。  

市民たちは亡くなった家族や仲間への思い、愛国心を胸に、原形をとどめず瓦礫の山となってしまった一つひとつの建物を、レンガの位置や大きさ、色合いだけでなく、割れ目一つに至るまで、忠実に再現しようとしました。再建作業には建築家や修復の専門家はもちろん、石工、大工、さらにワルシャワの多くの一般市民が協力しました。もともとの建物に使用されたレン ガはできるだけそのまま使われ、残った破片もふるいにかけられ再利用されました。こうしてワルシャワの旧市街が見事に蘇ったのです。  

具体的に、どうやって再建が進められたのでしょう。たとえば、中世のバロック調やゴシック様式の建物が軒を並べている旧市街スタレ・ミャストは、往時の写真、図面、果ては絵葉書までをももとに、広場の石畳一つから復興作業が始められました。広場を取り囲んで立ち並ぶ民家の壁や瓦もわざわざ時を経て色褪せた雰囲気を出すように配慮されています。窓やポーチに施された彫刻や意匠に始まり、家々の 紋章、店舗の看板までもが忠実に再現されています。  

現在、旧市街の一角には、少年兵をかたどった銅像があります。ポーランド国旗を表す白と赤のストライプが印象的な帯がまかれた大人用のヘルメットをかぶり、前方を見つめているその姿は、手にしている銃が不釣り合いに大きく見えます。この像は、かつてこの街がワルシャワ蜂起の際に参加した少年・少女たちを称えたものです。  

現在、そんな旧市街の広場は市民の憩いの場として車両の乗り入れが制限され、散策の足として観光馬車がゆったりとした旅情を漂わせています。屋台や大道芸人の周りには人垣ができ、 ヨーロッパらしい賑わいを満喫することができるでしょう。  
また、1971年まで爆破後の廃墟のままの姿であった王宮も、ワルシャワ蜂起の最中に隠されていた美術品や装飾品が再び配置され、今では当時の王族の暮らしぶりをうかがわせる豪華なサロン、謁見の間を見ることができます。  

いま、ワルシャワを訪れた私たちが見る旧市街は、まるで中世の街並みそのもの。しかしながら、その背景には、愛国心をかけた激しい戦いと、街の復興にかける市民の不屈の熱意があったのです。街の装飾も当時の姿で復元されました。

主な参考文献
『ポーランドを知るための60章』(編著/渡辺克義 明石書店)
『世界遺産を旅する4 オーストリア・東欧』(近畿日本ツーリスト)
ポーランド政府観光局公式サイト