2016年4月22日更新

ブータンの農業の父 ダショー西岡の遺したもの

ヒマラヤの山中に位置するブータン。「世界最後の秘境」「桃源郷」といわれてきたこの国は、私たち日本人にとってなぜか気になる夢の国。そんなブータンの現実と理想を追いかけながら、発展に命をかけたひとりの日本人がいました。


若き国王夫妻来日で ブータン・ブーム起こる

中国とインドという二大大国に挟まれたヒマラヤの小さな山国にもかかわらず、誰もが一度は行ってみたいと憧れるブータン、正式国名はドゥルック・ユルで「雷龍の国」といいます。事実上の鎖国政策が長く続いたこともあり〝幻の国〟というイメージが強くありましたが、近年は2011年のジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク第五代国王とジツェン・ペマ王妃の訪日でブータン・ブームが起こりました。結婚後の初の外遊先として日本を選んだ若き国王夫妻。東日本大震災の被災地・福島を訪れて祈りを捧げるとともに、多くの人とのふれあう姿は、日本中に感動を呼びました。今年の2月には王子が誕生したニュースも記憶に新しいことでしょう。  国民総幸福量(GNH)を国づくりの指標とするブータンには、東西と南をインド、北を中国に挟まれた小国。国土のほとんどを覆う山岳地帯に残された手つかずの大自然、チベット仏教から派生した仏教文化、独特の民族衣装など、たくさんの魅力があります。とくに、ブータンを訪れた人の多くは素朴で温かなブータンの人々とのふれあいを一番に挙げます。心から国を愛し、ブータンに生まれてよかったと誇りを持つ人々。幸福を測るのはけっして簡単なことではありませんが、彼らの笑顔から私たちも幸せの意味を感じることができます。
 
ブータンの民族衣装を身に着けた西岡京治さん
妻とふたりでブータン入り 〝干された状態〟からのスタート

そんなブータンの人々に惚れ込み、この地で一生を終えたひとりの日本人がいることをご存じでしょうか。28年間にわたりブータンで農業指導を続けた西岡京治さんです。西岡さんはブータンで農業の近代化を推進し、1980年には現在の国王の父であるジグミ・シンゲ・ワンチュク第四代国王から、「最高に優れた人」という意味の名誉称号「ダショー」を外国人として初めて贈られました。現地では「ブータンの農業の父」として、ダショー西岡を知らない人はいないとさえいわれます。  

大阪府立大学農学部などを経て府立園芸高校で教員をしていた西岡さんが、妻の里子さんと一緒にブータンにやってきたのは1964年。海外技術協力事業団(現JICA)が農業専門家として2年間の期間限定で西岡さんを派遣したのがきっかけでした。ただ、もともとネパールをはじめヒマラヤ地方での研究経験があった西岡さんは、「水が少なく、平野が少ないこの地方の人々の暮らしを、少しでも豊かにしたい」と、ブータン行きを熱望して掛け合っていたことから、派遣が実現したそうです。  チベット仏教を国教とし、大国の狭間で生き残る術として厳しい鎖国政策をとってきたブータンが国際社会に登場し、国連に加盟したのは1971年、つまり今からわずか45年前のこと。当時、18世紀の姿そのままに20世紀に登場した国だと評されたといいます。それゆえ、西岡さんと里子さんの初めての入国も、ボロボロの航空機、山、谷、山……の崖っぷちをジープに乗って走り続ける大変な道のりでした。

しかし、いざブータンに着き農業指導を始めようとしても、昔ながらの家族が食べていく分だけを作っているブータンの人々を説得するのが難しいうえに、ブータンの農業局はインド人の局長が何もかもを握っていて意見さえ受け入れられないという、西岡さん曰く〝干された〟環境だったとか。それでも西岡さんはあきらめず、稲の栽培技術や新しい品種をブータンに持ち込み、2年の任期が終了した後もとどまって指導を続けました。
パロの田園風景

大きなダイコンが契機に 日本と同じ水田風景を実現

西岡さんの努力が最初に認められたのは、コメではなくダイコン。寒暖差の激しいブータンではダイコンをはじめ、甘みの強い大きな野菜ができたのです。さらに、日本で普及している縦横一定間隔で植えていく並木植えによるコメ作りの普及にもこぎ着け、ブータン農業の近代化を一気に推し進めることになりました。その背景には、新しい農法に躊躇する村人との何百回もの話し合い、また現地の人々の生活に溶け込んだ里子さんのサポートも欠かせませんでした。

西岡さんはブータンで最も貧しく忘れられた土地といわれるシェムガン南部の再建に取り組み、日本と変わらない立派な水田を作り上げます。また西岡さんの貢献は農法だけにとどまらず、食生活の改善、架橋による流通の促進、地域開発にまで及びました。こうして数々の功績を残した西岡さんが突然の病で倒れ、59歳の生涯を閉じたのが1992年のこと。その死を嘆き悲しんだ人々は国葬を行い、全土から5000人もの人々が集まって涙を流したそうです。
見事な意匠で彩られたパロ・ゾン
西岡さんが住んでいたのは、標高2000メートル前後でブータンのなかでは肥沃な大地とされるパロ盆地。現在は唯一の空港がある空の玄関口で、豊かに実った稲田の風景のなかに巨大な建築物パロ・ゾンが佇む姿は、ブータンを象徴する風景です。そんなパロをはじめブータンは今、観光産業をはじめ近代化が急速に進んでいます。かつてはテレビもない国でしたが、今はインターネットも携帯電話も普及しています。しかし、西岡さんが惚れ込んだ素朴な人々の温かい心は今もけっして変わることがありません。だからこそ、私たちもこの国に憧れてやまないのかもしれません。


主な参考文献
『ブータンの朝日に夢を乗せて』 (著/木暮雅夫 絵/こぐれけんじろう くもん出版)
『神秘の王国』 (著/西岡京治・里子 学習研究社)
『遥かなるブータン』 (著/NHK取材班 日本放送出版協会)
『ブータン幸せ旅ノート』(著/岸本葉子 角川文庫)