2016年2月19日更新

ダ・ヴィンチが愛したフィレンツェ(後編)

メディチ家ゆかりの地フィレンツェ
前編はこちらから

1482年、ヴェロッキオの工房から独立していたダ・ヴィンチは、修道士たちから依頼された祭壇画「三博士の礼拝」(ウフィツィ美術館収蔵)を未完のまま放置してミラノへと移住します。ミラノの大公であったルドヴィーコがパトロンになってくれたからです。以後17年間、ダ・ヴィンチはミラノを拠点に活動しました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院の食堂の壁画として依頼された「最後の晩餐」や、名作として知られる「岩窟の聖母」などが制作されたのもこの時期です。また科学、建築、発明、軍事など様々な分野で、ダ・ヴィンチの名は広まっていました。  

ミラノ大公・ルドヴィーコの失脚により、ダ・ヴィンチは当時では老年と見なされていた48歳でフィレンツェに戻りました。しかし街の空気は18年前とはすっかり変わっていました。なぜならば、繁栄を極めていたメディチ家が追放され、シャルル八世のフランス軍が街を占領していたからです。さらに、生き残ったメディチ家の長ピエロが権力への返り咲きを画策。それだけでなく、ピサ人の反乱も起きていて、フィレンツェには社会不安の不穏な空気が蔓延していました。そんなとき、件の天才・レオナルド・ダ・ヴィンチの帰還したとあって、フィレンツェの市民たちはたいそう喜んだそうです。
ウフィツィ美術館には、フィレンツェゆかりの名作の数々が

幻となったミケランジェロとの競作    

フィレンツェに戻った数年後、ダ・ヴィンチは、ヴェッキオ宮殿に新築されたフィレンツェ市会議場「500人の間」の大壁画の制作をフィレンツェ共和国政府から依頼されます。世界で最も有名な名画「モナ・リザ」(ルーブル美術館所蔵)の肖像画に着手していた頃のことです。  

政府は、向かい合う壁の壁画をダ・ヴィンチ、そして若くして才能を認められていたミケランジェロ、当代きっての芸術家2人に描かせ、競わせようとしました。テーマは15世紀のフィレンツェの戦争。そこで、ダ・ヴィンチが選んだのは、フィレンツェがミラノ軍を破った1440年の「アンギアーリの戦い」。トスカーナのアンギアーリにある橋をめぐった戦いです。一方、ミケランジェロは、フィレンツェ軍が戦闘前の沐浴中にピサ軍から奇襲を受けた一事件「カッシナの戦い」を選びました。偉大な2人が同時期に同じプロジェクトに取り組んだのは、後にも先にもこの時だけです。  
 
レオナルド・ダ・ヴィンチ(派)《「アンギアーリの戦い」のための習作》 制作年不詳 ペン/黄ばんだ白地紙 17.1×12.6cm ウフィツィ美術館蔵 レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展より
「アンギアーリの戦い」を描き始めたダ・ヴィンチは、軍旗を激しく奪い合う兵士、倒されても逆襲しようと立ち上がる兵士など、人物の感情が動く瞬間をとらえることにこだわりました。その描写は肉体描写の研究のために解剖学にも傾倒したダ・ヴィンチの魂が込められ、多くの人に称賛される素晴らしいでき栄えだったと伝えられています。ところが、技術上の問題から絵の上の色がにじんで修復できず、ダ・ヴィンチはこの壁画の制作をあきらめてしまいます。以来、この絵はルーベンスが模写するなど、多くの画家に強い影響を与えることになりました。奇しくもミケランジェロも下絵の段階で断念しており、どちらの作品も完成しませんでした。  

もし、二大巨匠によるこの壁画が残っていれば、フィレンツェ最大の名所となったのは間違いありません。現在のヴェッキオ宮殿の大広間のダ・ヴィンチの壁画があったはずの場所は、1560年代前半にジョルジョ・ヴァザーリが描いた新たな壁画装飾によって覆われています。実はその下にダ・ヴィンチの絵が今でも、現存しているのではないか、と期待する研究者もたくさんいます。  

ダ・ヴィンチの軌跡が残るヴェッキオ宮殿、ウフィツィ宮殿――。フィレンツェの街を歩くと、どこへ行っても歴史への入り口が待ち受けています。ダ・ヴィンチの謎に思いを馳せながらこの街を歩けば、よりロマンチックに、より情趣を感じることは間違いありません。
 
ヴィンチ村産「レオナルド・キャンティ」
キャンティのワイン

ダ・ヴィンチの生誕地であるトスカーナの田舎町・ヴィンチ村。500年間変わらない緑の風景は、「最後の晩餐」の背景に描かれているとも言われます。トスカーナ地方は、イタリアでも有数の食の都として名高いところ。フィレンツェを訪れた際には、サラミ、鶏のレバーペーストなどの前菜ともに、濃厚な地元産キャンティの赤ワインをぜひお楽しみください。
 
主な参考文献
図説フィレンツェ「花の都」二〇〇〇年の物語
(中嶋浩郎著 河出書房新社 2008年)
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(シャーウィン・B・スーランド著 菱川英一訳 岩波書店 2003年)
 
図説メディチ家 古都フィレンツェと栄光の「王朝」
(中嶋浩郎著 河出書房新社 2000年)
地球の歩き方 フィレンツェとトスカーナ
(ダイヤモンド・ビッグ社 2013年) 
ルネサンス
(ウォルター・ペイター著 富士川義之訳 白水社1986年)