2015年11月12日更新

バレエの歴史とロシア(前編)─バレエはイタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで成人した

マリインスキー・バレエ ロミオとジュリエット (ジャパン・アーツ提供)©N.Razina
フランス革命時代に開花した ロマンティック・バレエ    

バレエそのものの起源は、ルネッサンス期のイタリアで貴族の宴や結婚式などの余興として披露された踊りといわれています。ただし、セリフや歌などもある、いわば「出し物」のようなものだったようです。このバレエらしきものは、メディチ家のカタリーナがフランス王アンリ2世に嫁いだのを機にフランスに渡り、詩や音楽、舞踏が一緒になった宮廷バレエとして流行。自らダンサーとしてバレエを愛したルイ14世の下、さらに発展します。有名なパリ・オペラ座バレエ学校の前身が創設されたのはこの時代のことです。バレエの5つのポジションが定められ、基本が確立されました。意外なことに、女性が舞台に立つようになったのもこの頃からでした。  

その後、それまでオペラの付属物、もしくは小品集に甘んじていたバレエの舞台を、物語性に富んだ芸術にしようという動きが出てきます。18世紀後半に『舞踊とバレエについての手紙』を書いたフランス人振付家ジャン・ジョルジュ・ノヴェールらによって、バレエはひとつのジャンルとして完成されていきます。ノヴェールはバレエ・ダクシオン、つまりレベルの高い芸術的なバレエの実現には、形としての美しさだけでなく、台本、音楽、美術、演出、振り付けなどすべての一体化が必要だと説きました。  

こうして、パリ・オペラ座を中心に、妖精や魔女などが登場するロマンティック・バレエが確立されていきます。妖精を思わせる長い透き通った衣装「ロマンティック・チュチュ」や、爪先立ちで踊る「ポワント」、そのためのトゥシューズが開発されたのはこの時代です。妖精との恋を扱った『ラ・シルフィード』、身分違いの恋と妖精の伝説を織り込んだ『ジゼル』はこの頃の代表作です。

優れた音楽と文学によって クラシック・バレエが確立
マリインスキー劇場

西欧で育ったバレエがロシアに伝わったのは、18世紀のことです。ピョートル大帝、そして以後の皇帝たちもヨーロッパの文化や芸術を積極的に取り入れる西欧化政策を推進しており、バレエもそのひとつでした。1738年にサンクト・ペテルブルクにロシア初の帝室舞踊学校(現・国立ワガノワ記念バレエ学校)が創設され、以後各時代の権力者の庇護の下、ロシアのバレエは大きく発展します。フランスをはじめ西欧から教師が招かれ、バレエダンサーの育成に力が注がれました。

1773年、エカテリーナ2世の時代にはモスクワでは孤児院の中にバレエ学校が設立されました。 サンクト・ペテルブルクとモスクワには、それぞれ現在のマリインスキー劇場、ボリショイ劇場の前身となる場所ができ、ロシア・バレエは帝室の庇護を受けたサンクト・ペテルブルクがモスクワを牽引する形で発展していきます。  

ロシア・バレエの方向性を決めた要因のひとつには、ロシア文学界、演劇界の巨匠アレキサンドル・スマローコフの存在がありました。ロシア初のバレエの台本をスマローコフが中心となって書いたことで、ロシア・バレエはドラマ性重視の傾向を辿ります。これはノヴェールの弟子のシャルル・ディドロに受け継がれていきました。フランス人のディドロは、ロシア・バレエ界のリーダーとして、感動的なドラマを演出し、テクニックと演技両面からダンサーを磨きます。今ではバレエの舞台に欠かせない跳躍や回転も、ディドロの下で発展し、帝室舞踊学校で今日ペテルブルク派といわれる舞踊スタイルの基盤ができました。  
 
マリインスキー劇場
フランスのバレエがロマンティック・バレエを頂点に凋落していく一方で、ロシア・バレエは、演劇と結びついたドラマティックな芸術として確立され、繁栄を見せます。

ディドロの後、19世紀後半のロシア・バレエ界に大きく貢献したのは、同じくフランス人のマリウス・プティパでした。1847年にサンクト・ペテルブルクに招かれたプティパは、1869年からマリインスキー劇場のバレエ・マスターとして活躍。46ものオリジナルバレエ作品を生み出しました。『ドン・キホーテ』『バヤデルカ』など、高度なテクニックと優れた演劇性、変化に富んだ場面構成など、いずれも秀逸でした。その功績の中で最も評価されているのは、チャイコフスキーの音楽に振り付けた『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』でしょう。これらは「三大バレエ」と呼ばれ、今でもバレエの代表的演目となっています。  

プティパの活躍した30年の間に、バレエの技術も飛躍的に進歩しました。ポワントが進化し、爪先立ちしながら32回転する「グラン・フェッテ」が始まったのはこの時代です。バレエの衣装も裾の短いクラシック・チュチュが誕生し、これによって足の可動範囲が広がり、バレエの技巧が発展したといわれています。こうしてプティパは、ロマンティック・バレエに代わり、クラシック・バレエを確立、ロシア・バレエの黄金時代を築いたのです。  

しかし、プティパ後のロシアでは技術の進歩に伴い、物語性よりも技巧重視の傾向も現れます。こうした傾向に異を唱えたのが、ミハイル・フォーキンら次世代のロシア人振付師たちでした。フォーキンは、作品の筋をパントマイムで説明せずに理解できるバレエを理想とし、「瀕死の白鳥」などを創作。彼らが目指したバレエ改革は、天才興行師セルゲイ・ディアギレフとの出会いによりバレエ界に大きな変革をもたらすのです。

後編はこちらから

主な参考文献
読んで旅する世界の歴史と文化 ロシア(監修/原卓也 新潮社 1994年)
バレエの宇宙(編/佐々木涼子 文春新書 2001年)
ユーラシア・ブックレット 知られざるロシア・バレエ史(著/村山久美子 東洋書店 2001年)
これがロシア・バレエだ!(著/赤尾雅人 新書館 2010年)
ロシア・バレエの黄金時代(著/野崎韶夫 新書館 1993年)
ビジュアル版バレエ・ヒストリー バレエ誕生からバレエ・リュスまで(著/芳賀直子 世界文化社 2014年)
■マリインスキー・バレエ 2006年・2009年・2012年公演プログラム
■新国立劇場バレエ団バレエ・リュス ストラヴィンスキー・イブニング2013年公演プログラム