2014年12月19日更新

カトマンズ盆地の建築文化(後編)

公共の休憩所ダルマシャーラ(パタン)
前編はこちらから

人々が集う「縁側」のある都市  インドと中国という両大国に挟まれたネパールは、古くから争いに巻き込まれてきましたが、背後に8000メートル級の山々を抱く自然の要塞の力は絶大で、ほかの近隣諸国のように植民地とされた期間は一度もありません。経済的に豊かでなくても、どことなくゆったりとした雰囲気が漂うのは、そのためでしょうか。  

そうした都市の雰囲気をよく表しているのが、ダルマシャーラと呼ばれる公共の休憩所の存在です。近所の住民や旅人、巡礼者のための場所で、その形態は、建物に庇を造り、床を張っただけのパティ、パティを2階建てにして宿泊所にしたサッタール、四方が吹き抜けとなった東屋マンダバなど様々です。そもそもは巡礼者や修行僧などの旅の途中の避難所として造られたようですが、リッチャビ王朝の頃、成功を収めて豊かになった敬虔な信者が寄進することで増えていったと考えられています。
 
市民が近づきやすいカトマンズの王宮
王様と庶民を隔てるのは壁一枚  

カトマンズ盆地の建築の特徴は、王宮にも表れています。一般に王宮といえば、広大な庭園の中に建っていたり、外構に堀が造られていたりと、庶民が簡単にアクセスできない場所を思い浮かべるでしょう。ところがネパールの王宮は、道や広場に面して建ち、庶民がすぐに出入り口に近づけるケースが珍しくありません。王宮の基本的な構造も一般の住居と同様、中庭を持つチョクですが、その中庭と、道路や広場を一枚の壁が隔てているケースもあります。    

王宮は、行政や祭典のためのチョク、さらに寺院が加わり、一般の住居に比べれば巨大な複合施設となりますが、ひとつひとつのチョクは20〜30メートル前後の正方形の建物で、それぞれに屋根が架かり、独立した建物になっているため、多くの住居が集合した街の様子と大差ありません。これも、ネパールの王宮が、西欧の王宮が持つ威圧感を抱かせない理由のひとつでしょう。かつて王室の人々は、窓から街を往来する人々を眺めていたとか。地上を見やすくするために、その出窓も斜めに付けられていたそうですから、いかに王様と庶民の距離が近かったかがわかります。

しかし、こうしたことが王宮の建物の価値を損ねるわけではありません。王宮は建築芸術として建築家から高く評価されています。とくに、最も文化が栄えた3王国時代を担う3つの都市、カトマンズ、パタン、バドガオンには今も見事な王宮が残っています。マッラ王朝時代の首都バドガオンでは、独特な輪郭の屋根、深い軒、レンガ造りの壁に取り付けられた木造のユニットというネワール様式の建築物が多く建てられました。この建築がカトマンズやパタンの王宮に引き継がれ、その後のネパール建築の基礎になったといわれています。
 
ネパール最大のチベット仏教のストゥーパ、ボダナート(カトマンズ)
パゴダ、シカラ、ストゥーパなどの宗教建築もこの国の重要な文化遺産です。複数の屋根を持つ木造の塔パゴダは、五重の塔などをよく目にする日本人にも馴染みのある建築でしょう。広く突き出た屋根の庇を支える柱には、見事な木彫が施されています。先のつぼまった石造もしくはレンガ造りの塔、シカラもよく目にする建造物です。

土まんじゅう形の仏塔、ストゥーパは、ヒマラヤ最古の寺院として知られるスワヤンブナート寺院や、カトマンズから東に7キロにあるボダナートのものが有名で、世界遺産に登録されています。  

悲しいことに、急速な都市化の進むネパールでは今、こうした独自の伝統建築の崩壊や消失が危惧されています。こうした文化財の保護には費用がかかるため、日本工業大学が、崩壊寸前だったパタンの仏教僧院「イ・バハ・バヒ」の保存修復を行い、本来の美しい姿を取り戻すなど、海外の国々の協力によって修復・保護活動が行われていますが、十分とは言い難い状況です。レンガと木を基本とする建物の耐用年限は200年程度。対策は一刻を争うといっても過言ではありません。


主な参考文献
神々と出会う中世の都カトマンドゥ (編/宮脇檀、中山繁信 エクスナレッジ 2012年)
ヒマラヤの「正倉院」―カトマンズ盆地の今 (著/石井溥 山川出版社 2003年)
ネパールを知るための60章 エリア・スタディーズ (編/日本ネパール協会 明石書店 2000年)
ネパール建築逍遥 ― 一本の古柱に歴史と風土を読む (著/藤岡通夫 彰国社 1992年)