2014年12月12日更新

カトマンズ盆地の建築文化(前編)

ネパール中央部、ヒマラヤ山脈の麓に広がるカトマンズ盆地。標高1300〜1400メートル、甲府盆地とほぼ同じ広さのこの盆地には、首都カトマンズをはじめとする都市が点在、ネパールの人口が集中しています。ヒマラヤ登山の拠点として知られますが、ネワール人が築いた豊かな都市文化の広がる土地でもあります。今回は、その独特の文化について、建築を中心に紹介していきましょう。
 
世界遺産の古都パタンのダルバール広場。奥
 にもヒマラヤが覗く
上階ほど神聖な住居  

カトマンズ盆地には、カトマンズのほか、パタン、バドガオン(バクタプル)、キルティプル、ティミといった都市が集まっています。それぞれ街の中心に寺院が立ち、その周囲に商人や職人、さらにその周りに農業を営む人たちが住むというのが街の基本的な構造です。  

伝統的な住居は、一軒の建坪が狭く、その代わりに3〜4階建ての背の高い造りになっています。かつて城壁や堀を備えていたカトマンズ盆地の丘陵都市では、城壁内の限られた土地に住居を構えるには、横ではなく、縦に広げる、つまり高層化するのが理にかなった方法だったのでしょう。

4階建ての場合、1階は農具や収穫物を置く納屋や作業場、家畜小屋、店舗、2階が寝室、3階が台所と居間、4階が食事を取る屋根裏部屋です。2〜3階が寝室、最上階が台所と居間となっているものもあります。祭壇が設けられているのは最上階という、ネパールの慣習が関係しているのかもしれないようです。  

伝統住宅は中庭を囲むように四方に建ち、「チョク」と呼ばれる共同住宅を形成しています。建物の多くは、地元で採った土をその場で乾かし、焼き上げて造ったレンガでできています。民俗学研究者の故今和次郎氏は「その土地で採れた材料を使って、その土地の技術で作られた建物は、たとえ貧しく見えようとも美しい」との名言を残していますが、まさにこの地域の建物の形容に当てはまる言葉でしょう。
 
ダールバール広場にあるネワール建築群
ネワール族が築いた伝統の建築様式  

建築様式としての大きな特徴は、レンガ造りのほか、窓回りの装飾や構造にもあります。庶民の住居だけでなく、寺院や宮殿にも共通するこうした伝統様式を生み出したのは、もともとカトマンズ盆地に定住していた少数民族、ネワール族です。

ここで少しネパール史をひもといておきましょう。史実として確認できる最初の王朝は、4世紀にリッチャビ族が興したリッチャビ王朝です。タクリ王朝時代を経て、13世紀、ネワール族がマッラ王朝を築きます。

マッラ王朝は、以降550年の長きにわたりネパールを統治しました。王朝最大の失策が、王朝最後の王ヤクシャ・マッラ王が4人の息子に王国を分与したことといわれます。これにより、カトマンズ、バドガオン、パタン、バネパの4つの都市国家に分裂、一代で滅びたバネパを除く3王国の時代に入りました。

分裂して国力を弱めた王国はその後さらに分裂を繰り返し、1769年にカトマンズの西にある小国グルカ王国に攻め入られます。グルカ王朝はネパール王国を建設。その後、1846年、親英派のラナ将軍の専政が始まり、鎖国時代となりますが、1951年に王政復古により開国。これがネパール史の概略です。  

文化の隆盛は、時の権力に左右されますが、ネパールについても例外ではありません。リッチャビ王朝は、カトマンズ盆地に芸術と美しい建築をもたらしました。黄金期を迎えたのはその後長らく統治を続けたマッラ王朝時代です。この時代に、多数の寺院や王宮が建造され、祭祀行事が行われ、音楽や文学などが奨励されました。

とくに文化が栄えたのが3王国時代です。3つの王国がしのぎを削るなか、ネワール様式の建築だけでなく、金銀細工、石細工、木細工、織物、曼荼羅など様々な分野で優れた技術が熟成し、文化の黄金時代が築かれたのです。
 
ドゥワリカ・ホテル
ネワール族が生み出した建築様式の特徴は、細密な彫刻の施された木製の窓や出入り口のユニット、それから、木造の大屋根を大きな軒で支える木材「方杖」にあります。レンガの壁と木製のユニットの組み合わせは、一見調和が取れていないように見えて、これが味わいをもたらしています。  
さらに、そこには強度を高める巧妙な仕組み、結合の技法があります。柱と梁は何列にもわたって結合され、素晴らしい彫刻の施された窓や出入り口のユニットの細かな部材同士が、釘やボルトもなく、互いに精巧に嚙み合い、結合しているのです。

西洋のレンガ建築に見られるアーチの技術の代わりに、窓や出入り口の木製ユニットをレンガの壁面にはめ込むことで強度を増し、同時に装飾を施して芸術性を高める。これがこの地の建築といえるでしょう。  

こうしたかつての見事な木造建築が見られるホテルがカトマンズにあります。今から40年ほど前のネパールでは、こうした木彫りの窓枠などが無造作に壊されたり、薪に使われたりすることが珍しくありませんでした。その現状を目のあたりにした故ドゥワリカ氏が、貴重な窓枠などを買い取るなどして収集、それらを装飾に使ってホテルを建てたのです。それが、創始者の名を冠したドゥワリカ・ホテルで、旅行者に人気となっています。  

マッラ王朝時代が終わると、文化隆盛の気運が弱まりました。専政を行ったラナ将軍は、当時イギリスで流行し始めていたネオクラシズムスタイルを王宮にも持ち込み、ネワール様式の王宮を大幅に改修。多くの建物にネパールの自然や郷土にそぐわないヨーロッパ様式を取り入れたのです。

カトマンズ王宮の西の角、ダルバール広場(王宮広場)の中心には、白壁に青や緑のペンキで窓が塗られた建物がありますが、周囲の景観に溶け込んでいるとはいえません。ネパールの人たちにとっても同様なのでしょう。そうした建物は順次、かつてのネワール様式に戻す修復工事が施されているそうです。

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