2014年11月14日更新

モロッコのメディナを歩く(前編)

「よそ者は一度入りこんだら必ず迷う」――モロッコの旧市街、メディナを表現する常套句です。先の見通せない細い通りが一見無秩序に連なるメディナは、旅人にとってはまさに迷路。商売人の売り声、鍛冶職人が金属を叩く音、路地で遊ぶ子どもの声……あらゆる音が溢れる通りはカオスの印象さえあります。しかしその裏に広がっているのはイスラムの豊かな世界。今回は、この魅惑の迷宮都市の歴史と構造をひもといていきましょう。
 
迷路のごとく入り組んだフェズのメディナ。
 運搬手段はロバ
旧市街の中にも新旧の街  

モロッコで「メディナ」といえば「旧市街」のことです。もともとメディナは一般の「都市」を表す言葉でしたが、フランス保護領となり、新しい街が形成されていく過程で、人々はもともとあった街をメディナと呼ぶようになりました。  

まずは、世界遺産にも登録されているフェズとマラケシュのメディナについて、その歴史を振り返っておきます。  

現在のフェズの街は大きく2つに分けられます。ひとつは、人々がメディナと呼ぶ旧市街、もうひとつが、20世紀以降、フランス保護領になった後にフランス式の都市計画に基づいて造られた街です。ただし、メディナの中にも、新旧2つの地域があります。

フェズに最初の都ができたのは9世紀のこと。789年、ヴォルビリスでモロッコ初のイスラム王朝「イドリース朝」を興したイドリース一世は、フェズ河畔を訪れた際、フェズを新しい都にすることを決めます。背後に自然の要塞である山を抱き、その麓をフェズ川が流れるこの地は新しい政治の中心地としてふさわしい場所だったのでしょう。しかし、彼はアッバース朝の刺客の手に落ち、夢半ばにして落命。その後を継いで街の建設にあたったのがイドリース二世でした。こうして808年(もしくは809年)にできた街が、旧市街の中でも最も古い「フェズ・エル・バリ」(「古びたフェズ」の意)です。  

イドリース二世はイベリア半島からのイスラムの移民を庇護、フェズにはチュニジアの都市カイラワーン付近からも人々が亡命してきたため、この地には様々な知識や芸術が流入します。こうしてフェズは、イスラムの知識人たちが集う学術・文化の中心地として発展しました。現在のメディナに見られる修養所(ザーウィア)やイスラム神学校(マドラサ)などは、その証しといえるでしょう。
 
世界最大級の高さ77メートルを誇る、クトゥ
 ビア・モスクのミナレット
11世紀に興ったムラービト朝以降、首都はマラケシュに移ります。マラケシュは、サハラ砂漠からの隊商と、沿岸部からの商人たちが交易する拠点として栄えました。

12世紀、ムラービト朝に取って代わったムワッヒド朝のアブド・ル・ムーミニーンがこの街を破壊しますが、その後、一度壊した町を再生します。ムーミニーンがムラービト朝時代の宮殿に魅了されたためとの説もありますが、真実はどうだったのでしょうか。いずれにせよ現在、マラケシュのメディナで見られる歴史的建造物のほとんどはこの時代のものです。クトゥビア・モスクはその代表例で、高さ77メートルと世界最大級を誇るミナレット(尖塔)が当時の栄華を今に伝えています。  

この後、13世紀に興ったマリーン朝が、再びフェズを都としました。そのとき、もとあった街の南西に建設したのが「フェズ・エル・ジェディド」(「新しいフェズ」の意)です。最古の旧市街、フェズ・エル・バリに対して「新市街」と呼ばれることもありますが、これは約700年前時点での「新」の意味になります。
 
マラケシュのメディナの中心部に位置するジ
 ャマエルフナ広場
実は無秩序ではないイスラム都市  

では、実際にメディナはどのような構造になっているのでしょうか。  メディナは、外敵からの侵入を防ぐための石の城壁で囲まれていて、街の出入りは各所に設けられた門を通じて行われます。  

複雑なのは、門の中です。「迷宮都市」と表現されるフェズのメディナには、1万3000の路地と1000の袋小路があるといわれています。中央が窪んだ、すり鉢状になっているフェズのメディナには坂道が多く、しかも道は細く複雑に入り組んでいるため、車は通行できません。主な運搬手段はロバです。街区の大きさも形も不ぞろいなうえ、道はまっすぐでなく、三叉路も多数。高い壁が両脇を覆った通りは見通しも利きません。

マラケシュ、フェズいずれのメディナも、冒頭の言葉を持ち出すまでもなく、初めて訪れた旅行者がガイドなしで迷わずに歩くのはほとんど不可能といえます。このような街の造りが外敵の侵入を防ぐのに有効だったことは想像に難くありません。  
 
フェズのメディナは、細かい道が複雑に入り
 組んでいます
モロッコに限らず、こうしたイスラムの都市は長らく無秩序な造りと考えられていました。しかし、近年の研究で、実は組織化された都市であることがわかっています。

メディナは、もともとあった生活基盤にイスラム法を適応して造られた都市です。イスラムの都市計画で街の中心となるのは、人々が集って礼拝を行う大モスク。そしてこのモスクを中心に、人々の生活に欠かせない水場となる泉、広場、ハマム(浴場)、スーク(市場)、日用品店などの商業施設が造られ、その周囲に住宅が建てられます。

こうして自給自足の生活を可能にするコミュニティができ上がり、さらにそのコミュニティがモザイク状につながって巨大なメディナを形成しているのです。よそ者には迷路にしか見えないメディナですが、凱旋門を中心に道が放射状に広がるパリのようなヨーロッパの街とはまた別の秩序があるといえそうです。   

迷ったときのヒントとして、メディナの特徴を少々付け加えましょう。スークや店の種類は、場所によって種類が異なります。メインストリート沿いに広がるスークは、出入り口である城門に近いところでは毎日の搬入の多い生鮮食料品が並び、中間には雑貨・衣服・靴を売る店など。メディナの中心に近いモスク付近になると、日用品以外の高級品や土産物など、日常品以外のものを売る店が多くなります。城門の近くに集まるのは、カフェや食堂、ホテルなど。音を出す工房や、強い臭いを発するなめし革工場などは、住宅地から離れた場所に置かれます。これらを知っておけば、迷路度合いが多少なりとも軽減されるかもしれません。

後編はこちらから

主な参考文献
モロッコを知るための65章(編著/私市正年、佐藤健太郎 明石書店 2007年)
エキゾチック モロッコ(著/外山厚子、バルカツ・ハッサン 心交社 2010年)
迷宮都市モロッコを歩く(著/今村文明 NTT出版 1998年)
モロッコの迷宮都市フェス(著/米山俊直 写真/村川敏弘 平凡社 1996年)
紀行 モロッコ史〈新潮選書〉(著/那谷敏郎 新潮社 1984年)