2013年11月15日更新

森林に興った美の王朝アンコール (後編)

アンコール・ワットはヒンドゥー教の宇宙感を具現化したといわれています
アンコール・ワット第一回廊の乳海攪拌を描いた有名なレリーフ
クメール建築の最高峰 壮麗なアンコール・ワット遺跡

スールヤヴァルマン二世は1113年に即位すると、新王宮と寺院の建設に取りかかりました。同王の治世は約40年。先にも述べたとおり、アンコール朝は繁栄期を迎えます。王は国内の反対勢力や近隣諸国との戦いを繰り返し、隣国チャンパ国(ベトナム)へ遠征を行い、首都ヴィジャヤ陥落を成し遂げたのです。

アンコール朝の歴代王によって建立された寺院は1000を超えるといわれ、多くの場合、灰色の砂岩や赤いレンガ、赤茶色の土ラテライトによって造られています。無数に建立された寺院の中でも、スールヤヴァルマン二世が残したアンコール・ワット寺院は、クメール美術の至宝、クメール建築の最高傑作と称されます。約30年の歳月をかけて建立されたアンコール・ワット寺院は、王が崇拝するヴィシュヌ神に捧げられ、ヒンドゥー教の宇宙感を具現化したものだそう。ヒンドゥー教寺院として建てられましたが、スールヤヴァルマン二世没後、霊廟となり、さらにその後仏教寺院となりました。

「寺院のある町」という意味のアンコール・ワットは、東西1.5キロメートル、南北1.3キロメートル、幅190メートルの環濠が四方をぐるりと囲みます。砂岩のブロックを積み上げた巨大な建物は、東南アジアの寺院には珍しく西向きに建てられています。これにはいくつかの説があるようですが、王の死後、アンコール・ワットは霊廟になることで、太陽の沈む死者の国へ王が旅立てるようにとの配慮からというのも一説です。

アンコール・ワット様式と呼ばれる建築様式の特徴は、彫刻が施された円錐形の塔と回廊の壁面に施された浮き彫り、入り口付近の広い十字テラスなどです。柱に刻まれた緻密な浮き彫りは実に繊細です。壁面にはレリーフをはじめ、インドの大叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などの場面を切り取った壮大な絵巻物が刻まれています。

均整の取れた5つの大きな円錐形の塔がそびえ、遺跡の堂々たる姿が鏡のようになった聖池に映し出される様子は息を呑むほどの美しさです。太陽の光を浴び時間帯によって変化するアンコール・ワット遺跡のシルエットは何度訪れても圧倒されるばかり。真っ青な空に映える遺跡ももちろん魅力ですが、突然襲う激しい雨スコールに打たれる遺跡の姿も迫力満点です。
近年公開されたバンテアイ・チュマール
ひっそりと佇む バンテアイ・チュマール遺跡

アンコール朝の最盛期に君臨した王がジャヤヴァルマン七世(在位1181〜1218年)でした。仏教徒だった王は多くの仏教寺院を建立しましたが、死後、ヒンドゥー教寺院に改修されたものも少なくありません。たとえば、バイヨン寺院もそのひとつで、寺院改修の際、たくさんの仏像が壊されたといいます。

建寺王の異名をとるほど、数々の寺院や王宮、バライの再整備など建設事業を行いました。その代表は、アンコールに残された最大規模の都城アンコール・トムとその中心寺院バイヨン、樹木の根が遺跡に絡み、まさに飲み込もうとする迫力の姿をそのまま保存しているタ・プローム、そしてバンテアイ・クディやバンテアイ・チュマールなどの寺院です。また、社会インフラの整備にも積極的に取り組みました。灌漑用貯水池のほか、地方からアンコールの都城に通じる道路、橋梁、宿駅(村人や官吏の休憩場所)、施療院などを次々と整備したのです。

アンコール・トム遺跡は、アンコールに残る最大の都城跡です。正方形の都城は一辺が3キロメートルにおよび、極めて頑丈にできているといいます。

南門から内部へと入りましょう。南門の四面仏尊顔をいただく楼門(ゴープラ)を見ながら、環濠に架かる陸橋を歩きます。欄干には蛇の神ナーガを阿修羅らが綱引きをする彫刻が並びます。南門は森を進むと寺院外側回廊の壁面の浮き彫り、四面仏尊顔の仏塔は実に印象的です。

一方、シェムリアップ近郊のアンコール遺跡群から北西へ約150キロメートル離れた密林の中にバンテアイ・チュマール遺跡があります。かつて北部地方の拠点都市として栄え、アンコールへと延びる王道沿いにジャヤヴァルマン七世が建立したという仏教寺院です。東門近くには宿駅が残されています。西回廊に浮き彫りされた二十二手観音、四面仏尊顔塔など見どころが点在します。

アンコール朝の絶頂期を作り上げた王の姿は、彼が建立したバンテアイ・チュマール寺院やバイヨン寺院の浮き彫りでも伺い知ることができます。
水上での戦いが描かれたレリーフ(バイヨン寺院)

アンコール・トム都城内にある国家鎮護寺院バイヨンの回廊壁面に描かれた浮き彫りは、繁栄を謳歌した農村の人々の生活を今に伝えています。  

樹木の下で楽しげに調理する様子が描かれています。もち米を炊き、大きな鍋で野猪を調理し、トンレサップ湖で獲った魚は串に刺して焼き食べます。下男でしょうか、調味料の入った壷をいくつも頭に載せたり、粉をこねたり。天秤棒を担いで食材を運び、市場では野菜や魚、香辛料、米類、酒、この地方の特産品であるカワセミの羽や犀角などが売られているようです。トンレサップ湖では盛んに漁業が行われ、豊かな食生活であったことがわかります。さらに人々の娯楽は闘鶏だったということも、壁面の浮き彫りが生き生きと伝えています。闘鶏は現代においてもカンボジアの村の男が熱狂する娯楽です。  

国内の反乱勢力や近隣国との戦いを描いた浮き彫りも少なくありませんでした。ジャヤヴァルマン七世がトンレサップ湖でチャンパ軍と激しい戦いを繰り広げた水上戦の様子が写実的に躍動感溢れる見事なタッチで浮き彫りされ、一見の価値ある美術作品です。 ※本文中に出てくる年号は、『アンコール・王たちの物語』(日本放送出版協会 2005年)の記載に基づいています。
主な参考文献
アンコール・王たちの物語 (著/石澤良昭 日本放送出版協会 2005年)
アンコール遺跡を楽しむ 改訂版 (著/波田野直樹 連合出版 2007年)
新訂増補 東南アジアを知る事典(監修/石井米雄、高谷好一ほか 平凡社 1999年)
ナショナル ジオグラフィックス日本版「水に支配された都アンコール」 (文/リチャード・ストーン 日経ナショナル ジオグラフィック社 2009年7月号)