【国内】帰着しました。添乗員レポート

【国内】帰着しました。添乗員レポート
2024年12月24日
【帰着レポート】九州の装飾古墳群と筑前の小京都 4日間
<2024年12月10日~12月13日 4日間 添乗員:田中 弥也子>
<2024年12月10日~12月13日 4日間 添乗員:田中 弥也子>
日本全国には「古墳」と呼ばれるものが16万基以上あるといわれています。その中で「装飾古墳」とされるものは、わずか700基ほど。そのうちの多くが九州北部に集中しています。今回訪れる福岡県には約70基、熊本県には約200基あるといわれており、生粋の「装飾古墳王国」への旅路です。
今回の旅では、福岡県と熊本県で各3つ、計6つの古墳(群)と、装飾古墳にまつわる展示施設を見学しました。装飾古墳は主に、壁画(彩色)を中心としたものと、彫刻(線刻)を中心としたものの2通りあり、ご案内した6つの中では、5つが美しい壁画を有し、1つが線刻を有している装飾古墳でした。
◆この旅で訪ねた装飾古墳と古墳に関する資料館等
【福岡県】竹原古墳、五郎山古墳、王塚装飾古墳
【熊本県】石貫穴観音横穴・石貫ナギノ横穴、オブサン古墳、チブサン古墳、山鹿市立博物館、熊本県立装飾古墳館
装飾古墳と人々の信仰心
1)福岡県:王塚装飾古墳館|死後の世界、被葬者を思う装飾の数々
王塚装飾古墳の石室は、室内のほぼ全面にわたって多様な文様が施され、赤・黄・緑・黒・白・灰と国内最多の彩色で描かれているところが最大の特徴です。王塚装飾古墳は年2回(春と秋)特別公開を実施しますが、それ以外は保存のためレプリカのみ見学可能です。忠実なレプリカで(本物よりしっかりと壁画が描かれているので、古墳が造られた当初の先人の思いを感じやすいです)、石室に入ると、その色合いとデザインに圧倒されます。
玄室入口には馬や人、中に入ると靫や盾等、まるで眠る主人を守っているような力強い壁画が広がります。そして、天井部には星を意味した無数の黄の円が描かれています。被葬者は、生涯を終えてからの長い間、古墳に眠ることになりますが、その頭上には満天の星空。安らかに眠ってほしい、眠りながらも美しい風景を見ていてほしい、そして夜空を通して、この世とつながっていてほしいというような思いが込められているのではないかと考えさせられる装飾の数々です。そして、もし自分が亡くなるときも、そんな美しい世界と自分を守ってくれる場所があれば良いなという先人の願いも感じられます。
「死後の世界と被葬者を思う装飾」。王塚装飾古墳館では、お客様とそのようなことを考え、お話ししながら見学しました。


2)熊本県:石貫穴観音横穴|千手観音や十一面観音石像が掘られた装飾古墳と仏教の融合
今回の旅の中では、もっとも行きづらい場所に位置する「石貫穴観音横穴」と「石貫ナギノ横穴」。中型バスだと近くの駐車場までは進めるものの、実際の古墳に行くまでは住宅街の中を抜け、急な階段を少々進みます。
落ち着いた田園風景が広がる中に現れる岸壁に掘られた穴の数々。「石貫穴観音横穴」は5基ありますが、この旅では、大きく、比較的訪れやすい3基にご案内しました。内部は暗く、写真に写らなかったことが残念ですが、しっかりと千手観音像や十一面観音石像が線刻されており、古墳の中に仏教寺院が表されているような空間でした。実際に線刻された時期については諸説ありですが、古墳築造期に彫られたとの説もあります。
現在、この「石貫穴観音横穴」と45基の横穴が並ぶ「石貫ナギノ横穴群」は、これまで保存してきてくださった住民の方々の高齢化や地元の過疎化、予算の問題から維持が難しい状況でもあると、ご一緒してくださった玉名市観光局の職員の方がおっしゃっていました。被葬者の安らかな眠りを祈る線刻に触れ、古代日本人の美しい思いやりが今後も残ってほしいと願いながら、次の観光地へ向かいました。


3)熊本県:オブサン古墳、チブサン古墳|女性に関する信仰の対象となった古墳。「オブサン」と「チブサン」 その名の由来は?
ユニークな壁画が特徴の「チブサン古墳」。この旅のハイライトに掲げていたお客様も多く、「なぜ『オブサン古墳』『チブサン古墳』というのか」と、ツアー序盤からお客様の中でも話題になりました。ガイドの方が答えを教えてくれましたが、ツアー3日目に実際に訪れて、皆様納得。
「オブサン古墳」は、外観が足を広げて寝ている女性の姿に見え、そこから「お産」を連想。「お産」が「オブサン」となった経緯がわかります。「チブサン古墳」は中の壁画が「乳房」を表していて(「これは目玉では?」というご意見の方も)、その「乳房」が「チブサン」となった由来を実際に見ることができました。「オブサン古墳」の内部は、何が描かれているかあまりわからない状態ですが、「チブサン古墳」は実際の壁画まで進むことができ、はっきりとその様子を確認できます(内部撮影不可)。
2つの古墳は「お産」と「乳房」から女性に関する信仰の対象となっていたといわれ、江戸時代には、安産や母乳の出が良くなるようにと、古墳に甘酒をお供えしたと伝わります。研究者からは幾何学文様は呪術的に、円文は魔除けの鏡等を描いたのではないかなど、諸説もあります。築造当時の思いと、後世の人間が託した思いは異なるかもしれませんが、時代を超えて願いを託されている2つの古墳の神秘性に触れました。


熊本県立装飾古墳館の言葉を借りると、装飾古墳とは「日本古代の優れた原始美術」であると。
古くの私たちの先祖は、墓域を守るため、武器や武具、幾何学文様の呪力等を示し、死後の世界への供物として被葬者の生前の生活や財産を描き、そして死者の安らかな眠りを祈って死後の世界等を極めて高いデザイン力で表していたとされています。
その古代日本の素晴らしい技術と思いに触れ、「装飾古墳王国」九州北部の旅路を終えました。
品性を感じる城下町「秋月」も散策しました
装飾古墳がメインのツアーでしたが、桜と紅葉の名所でもある筑前の小京都「秋月」の散策もお楽しみいただきました。桜並木が続く「杉の馬場」は、春になると露店が出て賑わいます。今回は、紅葉が終わる間際のご案内となり、比較的落ち着いた雰囲気での観光が叶いました。
1623年に築城された秋月城。秋月城址跡まで進み、紅葉に映える「黒門」から「垂裕神社」まで階段を上りました。小さな城下町は、そのこじんまりとした雰囲気と木々と歴史的建造物のコントラストが上品で美しく、ツアーを終える日に改めて、九州北部の底力を見たようでした。


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