【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年08月24日

【帰着レポート】庄内ガストロノミー 鶴岡・酒田の旅

2021年7月27日(火)~7月29日(木)3日間 東京支店 酒井康行

<7/27発・添乗員:東京支店 酒井康行>

 人気の「地方の美食学 ローカルガストロノミー+旅」シリーズ。地産地消にこだわり、日本の地方で活躍しているシェフの、地のものを生かした芸術的とも思える味をお楽しみいただけるばかりか、日本各地の風土・文化風習も併せて楽しむことが出来るあたりが人気の利用のようですが、このたびはその先導者とも言うべき奥田政行シェフが手掛ける鶴岡の絶品イタリアン「アル・ケッチャーノ」にて、「ユネスコ食文化創造都市」に認定される鶴岡の海の幸や山の幸を楽しんで参りました。このたびは、その芸術的な料理の数々をお写真でご紹介するとともに、航空機の都合でスケジュールが変更となり、もともとコースには含まれていなかった訪問地にもご案内して参りましたので、それらをご紹介致します。尚、人気のコースゆえに、過去にも弊社の添乗員がレポートを記載しておりますので、そちらも併せてご覧ください。

奥田政行シェフの絶品イタリアン「アル・ケッチャーノ」の夏メニュー

庄内浜のワラサと月の雫の塩
スズキとセロリのセヴィーチェ(マリネ、レモン〆)
マグロとトマトの冷製カッペリーニ
赤海老のリゾットと枝豆
キンカラ鯛、イカ、ズッキーニ
山伏豚のグリルとスイカ・ピスタチオ
おかひじきのジェノベーゼ
アル・ケッチャーノ風山形のだし(郷土料理をイタリアンへ)
羽黒羊と柚子南瓜
レアチーズのムースとさくらんぼ

明治以降の鶴岡を支えた「松ヶ丘開墾記念館」

 明治維新以降、武士たちが刀を()に持ち替え、農地を開拓していった歴史を伝える施設「松ケ岡開墾記念館」。明治8年創建の旧蚕室を記念館として公開しています。棟梁は当時の名匠・高橋兼吉ら2名で、養蚕業の先進地・上州島村(現・群馬県佐波郡境町(さわぐんさかいまち))・田島家の蚕室を模したといわれています。
 当時の庄内藩は、戊辰戦争後多くの困難に遭遇し、なかでも、()を失った旧藩士と江戸の治安を守るため幕府から預けられた浪士隊の生活をどう立て直すかということに苦慮していました。
 この時、元の中老・(すげ)(さね)(ひで)らは、農地の開発による授産を計画し、明治5年(1872年)に鶴岡の東を流れる赤川の河川敷地で開墾を試みた後、3千人の藩士を29組に編成して月山山麓地帯の開拓に着手しました。
 掘建て小屋を建て井戸を掘り、大木を伐採して、明治6年(1873年)までに311haを拓くと、明治7年(1874年)までには全体の面積に桑と茶を植え付けました。その後、明治10年(1877年)までに蚕室10棟の建設を終えて、蚕種の掃きたて飼育と製茶を開始するまでになりました。
 昭和23年(1948年)の第二次農地解放に際し、事業開拓以来の伝統と実績を認めた政府は、開墾地を分散せずに、開墾地内の者の共有にするという特例を承認しました。このような経過を経て、ここに松ヶ岡農業協同組合が設立されました。
 これら松ヶ岡開墾場の歴史と現状とを踏まえ、平成元年(1989年)8月11日に本陣、蚕室等の建造物を含む、23,950㎡が国の史跡に指定されました。
 現在、松ヶ岡開墾記念館の1階は、松ヶ岡開墾資料並びに蚕糸関係資料を展示し、2階には田中(まさ)(すけ)正臣(まさおみ)コレクションの全国の郷土玩具25,000点が展示されています。

松ヶ丘開墾記念館の外観


 

1階は絹に関する展示が充実しています
2階は所狭しと日本中の玩具が並びます

第47代横綱柏戸の偉業を訪ねて

 横綱柏戸記念館は、角界に柏鵬時代を築いた鶴岡市名誉市民・大相撲第47代横綱柏戸の偉業を顕彰し、後世に伝えるために建設された施設です。東京江戸川区にあった旧鏡山部屋の稽古土俵と上り座敷をそのまま移築し、その他、柏戸の栄光の証や秘蔵資料の展示、さらには日本相撲協会提供による迫力ある取組み映像の放映も行っています。

記念館の前に威風堂々と佇む柏戸の銅像
優勝額やトロフィーが並びます
柏戸ゆかりの展示品がずらり
東京江戸川区にあった旧鏡山部屋の稽古土俵

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