【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年03月15日

【帰着レポート】文化歴史塾+旅 宇治・伏見を訪ねる旅

2021年3月10日~3月12日 3日間 添乗員:東京支店 下平裕史

 京都の主要観光地から離れていることから、訪れたことがない方が意外と多い宇治と伏見。そこは、日本の歴史を左右した出来事や、一度は聞いたことがある文学の舞台など見どころ多い場所でした。京都と言えば清水寺や金閣寺など有名で特徴のある建物などに目が行きがちですが、宇治や伏見は「歴史好きな人にはたまらない」場所でした。さらに今回は、宇治の萬福寺や宇治橋の守護寺である放生院など通常のツアーではあまり訪れることのない場所にも訪れました。

黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」では「普茶料理」を召し上がりました。本来4人で食べる料理ですが、コロナ対策でお弁当形式で用意されました。

現代に蘇る極楽浄土の世界・平等院鳳凰堂。曇っていたのが残念でした。晴れていて風がないと水面に鳳凰堂が映りこみます。

「予習」も旅の大事なエッセンス。地元の語り部による文化・歴史塾の特別講座。

「文化歴史塾+旅」というタイトルの通り、単に訪ねるだけではなく、テレビの町歩き番組のように地元の語り部の方とともに歩き、また観光前や観光後に各方面の専門家の先生から「文化歴史塾」の講義を聞くことによって、その土地の歴史をより深く理解する旅です。今回の旅ではツアーの初日は観光ではなく、明日以降訪れる訪問先の予習を兼ねて、「宇治の平安貴族の文学と浄土思想」と「幕末の伏見」の二つの講義を聞きました。今回の講師は倉橋みどりさん。「奈良観光大使」も務めておられますが、京都に関しても造詣深く貴重な講義の時間でした。特に今回は、講義のところどころで倉橋さんが、実際に訪れるときの注目ポイントなどをうまく教えてくれたので、実際に訪れた際に「この場所が先生が言っていたところか、なるほどね。よく理解できた。講義を聞いてから来てよかったわ」というお声も頂戴しました。そして三回目は宇治の観光前に宇治橋の守護寺である「放生院」の黒田住職より「宇治の歴史は橋・川・塔」というテーマでご講演いただきました。

倉橋さんより紹介いただいた本の紹介

「歴史でめぐる伏見の旅」出版:「THE伏見」編集部

日本の歴史が動いた町―伏見の魅力に迫った本です。伏見の時代を時代ごとにめぐります。ぜひ実際に訪れる前に読んでいただきたい本です。

このように会議室をお借りして観光以外にもその土地に関しての特別講演も用意しているのが「文化歴史塾」
推古天皇の時代604年に開創された放生院の住職の方に特別にご講演いただきました。重要文化財が4つも保管されています。

キーワードは「水」。酒蔵のまち伏見とお茶のまち宇治。

 伏見と宇治を語る上で欠かせないのが「水」です。伏見・宇治ともに宇治川が流れていますが、かつて伏見には宇治川は通っていませんでした。豊臣秀吉が伏見城を築城を契機に宇治川の治水工事が行われ、伏見城のふもとに川を通したことから伏見の発展は始まります。その結果、伏見は物資を運んだり、城を守る便利な地となったわけです。つまり伏見では川の「水」が重要だったわけです。また、かつては「伏水」と呼ばれていた伏見。湧き水も豊富なため、伏見では日本を代表する酒どころにもなり、今でも町のあちこちに酒蔵が残ります。御香宮神社には日本の名水百選に選ばれている「御香水」もあります。

 そして、宇治の発展、特に宇治茶が発展したのにも「水」が絡んできます。646年に宇治川に日本最初の橋である宇治橋が建設されますが、1594年に撤去されてしまいます。その結果これまでその橋を通過するために宇治を通っていた人たちは宇治に来なくなり、交通の要所ではなくなってしまいました。そこで「お茶を中心にもっと町を発展させよう」と決め、宇治茶が発展したのです。そして、宇治にはかつて「宇治七名水」という湧き水が沸いており(現在は宇治上神社の「桐原水」のみしか残っていませんが)、この名水は宇治茶の栽培に使用されました。宇治ではお茶の栽培で「水」が重要だったということです。

 ぜひ、宇治や伏見に訪れる際は「水」というキーワードを一つのテーマにして旅をしてみてください。

淀川に名前を変えて大阪湾に続く宇治川の「水」がこの二つのまちを築き上げました。

御香宮神社の井戸で採水されている「御香水」は地元の方もボトルを持って汲みに来ていました。

激動の幕末に生きた藩士に思いを馳せ・・・。伏見の歴史散歩。

 「鳥羽・伏見の戦い」「寺田屋事件」、「坂本龍馬」・・・幕末を語る上で歴史上欠かせない場所が伏見です。当時、伏見は京都や大阪を結ぶ港町、城下町、宿場町として栄えたわけですが、京都からの物資がここに集まってくることに合わせて、人が集まり、そして情報が多く集まりました。その情報を求めて、薩摩藩士や坂本龍馬など尊王攘夷派、会津藩、新選組など多くの人々が伏見の町を歩いていました。寺田屋はあまりにも有名ですが、ぜひ注目していただきたい部分が、戊辰戦争へとつながる「鳥羽伏見の戦い」の跡地。この戦いでは新政府軍が御香宮神社を拠点、旧幕府軍は伏見奉行所を拠点として戦いを繰り広げ、最終的には新政府軍が勝ち伏見奉行所は燃えてしまいました。ここまでは知っている方も多いと思います。今回、実際歩いてみると「なるほど」と思うことがありました。それは二つの拠点の立地条件です。語り部の方が話してくれましたが、実は伏見奉行所よりも御香宮神社のほうが少し高い場所に位置しているのです。大砲などを打つ際、上に位置していたほうが戦いやすいのは当然のこと。こういう位置関係からもこの戦いは新政府軍が勝つというのはわかっていたともいわれています。歩いてみると確かに坂道になっていることがわかりました。歴史本ではわからない、実際に歩いてみないと気づけない部分だなと感じました。歴史散歩をしながら「この道をもしかしたら坂本龍馬が歩いていたかもしれない」と思うと、その時代にタイムスリップしたかのような気分になることができました。

新政府軍の拠点「御香宮神社」には鳥羽伏見の戦いの石碑と建てられていました。
御香宮神社から約150メートル。砲撃を受け炎上してしまいました。

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