【国内】帰着しました。添乗員レポート

【国内】帰着しました。添乗員レポート

2023年01月19日

【帰着レポート】絶海の孤島 南・北大東島を巡る旅 4日間

〈1月6日発 添乗員:本社営業部 萩原洋子〉

〈1月6日発 添乗員:本社営業部 萩原洋子〉

沖縄本島より東に360キロ、周りを深海に囲まれた絶海の孤島、大東諸島への旅より戻ってきました。ワールドでは一昨年より南大東島のツアーをご案内していました。それが、昨年秋からは北大東島も組み込み、南北両方の大東島をご覧いただけるようになりました。良くきょうだいに例えられる2つの島の間は8キロと、近くにあるのですが島の雰囲気は異なっていました。南大東島の報告は過去の帰着レポートがございますので、今回のレポートでは北大東島の魅力をお伝えします。

南大東島の弟分といわれますが……

南大東島、北大東島、沖大東島から成り立つ大東諸島は、他の島と陸続きになったことはありません。島の地質はサンゴ礁が凝固した石灰岩で構成されており、島の周囲は深さ2000mにもなる深海、かつ周囲360㎞にわたり外洋に囲まれているため、まさしく「絶海の孤島」です。長らく無人島でしたが、明治時代に東京・八丈島の人びとが入植し、サトウキビ産業を中心に開発されてきました。入植者は先に南大東島に入植し、その後北大東島を開発。その歴史から南大東が兄、北大東が弟と言われます。ただ島の成り立ちを見ると、北大東島は南大東島より早くにサンゴ礁が隆起しています。そのため鳥の糞などが石灰岩に堆積し、のちに化学肥料の原料として使用される燐鉱石(りんこうせき)が採掘されるようになりました。北大東島では1919年~1951年にかけて燐鉱石採掘が行われ、その遺跡が島の各所に残っています。南大東では燐鉱石は採掘されていないので、弟と言われる北大東でも、実は成り立ちを見ると兄貴分。お客様からも、北大東島にこれ程の立派な施設が昭和の時代にあったなんて知らなかったとの驚きの声も。歴史に思いを馳せる時間となりました。

燐鉱石貯蔵庫跡
那覇と南北大東諸島をつなぐ貨物船「だいとう丸」の荷運び風景と夕日 船は接岸できないめ、クレーンで運搬します

フロンティアスピリットとは?

また、北大東島でお世話になったガイドの葉棚さんは、なんと島の名産品「ぽて酎」誕生の立役者でした。北大東の産業の中心は、さとうきびや漁業ですが、輪作作物としてじゃがいもやかぼちゃも作られています。北大東の特産品開発のため、規格外のじゃがいもを焼酎にしてしまおうと発案されたそうです。また、海が荒れてしまうと漁獲高が安定しないため、近年ではヒラメやアワビの養殖も始めています。完全村営の陸上養殖所施設長の仲宗根さんからは、養殖業の苦労話などを伺いました。ぽて酎も養殖も、島の将来を考えるための策。かつて大東諸島に上陸し、斧で原生林を拓いた開拓者と同じ魂が感じられます。

ガイドの葉棚さん(左)島に1件のホテル・ハマユウ荘の親川社長(右)
ヒラメは1年間で40センチまで育て、出荷されます

北大東島の観光はまだまだスタートしたばかりで、島に2軒しかないホテルでも半分は土木事業の作業者が泊まるとのこと。島をぐるりと巡っていても新しい建築物が多く、戸建てではなく公共住宅の団地に住む方が多いです。人口約600人のうち、15歳までが約120名と、建物も人も若く、ますます発展が見込まれる北大東島。これからが楽しみです。

平成25~6年竣工の北大東村役場 付近に島唯一の診療所や駐在所があります
島で唯一のホテル ハマユウ荘
島の東部にある「沖縄最東端の碑」沖縄からの開拓民はここから沖縄を眺め、付近の海を沖縄海と名付けました
大本宮 八丈島の移民が開拓したので島には東京の文化が残り、この会場では毎年相撲が行われます 

北大東島と南大東島を続けて巡ることで、ここでは紹介できなかった多くの違いを発見することができました。日本の島々を巡っている方からも、「国境離島(北大東島は沖縄最東端の地であり、国境離島です)の産業は特殊性があるね」とのお言葉や、もっと多くの人に大東諸島を巡ってほしいとのお声もありました。南大東島のみを観光された方でも、北大東島の観光価値を実感された旅でした。

この記事に関するキーワード

お気軽にお問い合わせください

電話相談はこちら

受付時間:午前9:30~午後5:30

東京
03-3501-4111
大阪
06-6343-0111
名古屋
052-252-2110
九州
092-473-0111
札幌
011-232-9111
藤沢
0466-27-0111