【国内】帰着しました。添乗員レポート
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2022年02月07日
【帰着レポート】立地の良いペンションホテルで楽しむ島時間 世界遺産小笠原 父島母島 6日間
2022年1月30日~2月4日 6日間 添乗員:東京支店 岩田尚之
<1/30発 添乗員:東京支店 岩田尚之>
東京から南に1000km。片道24時間の船旅を終えると、そこには、同じ日本とは思えない孤島の絶景と独自の文化が根付いた南国の楽園が待っていました。このたび、小笠原諸島、父島母島の旅より帰着しました。今回は、父島の中でも中心地となる大村地区にあるペンションホテルに分宿し、立地の良さを生かした滞在となりました。父島と母島で過ごした島時間の一部をご紹介いたします。
絶好のコンディションの下、小笠原の大自然を満喫できました。
有史以来、一度も陸続きになったことがない小笠原諸島。見晴らしの良い場所に行けば、一面に広がる水平線と小笠原の代名詞でもある「ボニンブルー」の海が出迎えてくれます。そもそも、「ボニン」とは、江戸時代に発見された当初、「無人島(ぶにんじま)」と呼ばれていたことから転訛していきました。当時の人々も見たであろう変わらぬボニンブルーの濃い青々とした海は訪れた私たちを魅了しました。
さらに、展望台から目を凝らしていると、ところどころで鯨の親子が見つけられ、ブロウという潮吹きをするたびに、「あ、あそこにいた!2頭いる!」と歓声があがりました。訪問した2月というのはちょうど回遊してくるシーズンだったので、後日ご案内した南島へ向かう際にも間近で鯨を見ることができ、貴重な体験となりました。
さらにのどかな時間の流れる母島の観光へ。
父島よりさらに南へ50km。くろしお丸にて2時間の船旅で向かったのは母島です。人口も400~500人程と、父島の4分の1程度。父島よりも観光地化されておらず、島民が自給自足でのんびりと生活しているところ、私たちものんびりと散策しました。
もともと、母島というのは、外国人のモットレー夫妻により拓かれ、ドイツ人のフレデリック・ロルフスが移住し、ともに発展させたのが島の起こりになります。ロルフスが見つけたロース石は、島の主要産業である製糖業に大きく貢献し、挽き石や竃、洗い場など様々なものに加工され使われました。彼の記念して建てられた記念館は、村の中心部にあり、固有種オガサワラビロウの葉を葺いた屋根が南国らしさを物語っていました。
また、母島へ行った際にオススメなのが、農協などで売っているミニトマトです。ふつうのものより糖度が高く、まるでフルーツのような甘さが特徴です。父島の農協でも買うことができますが、島民も入荷する前に並んで購入していました。1~4月が旬のシーズンではありますが、もし見かけた際には是非ご賞味ください。
期間限定上陸可能の島・南島へ。
本来、訪問した時期というのは、植生回復期間の為、南島への上陸は禁止されているのですが、今回は諸条件が揃ったことから南島へ上陸することができました。1日の上陸人数は最大100名まで、公認ガイド付きで上陸箇所も指定され、さらに滞在時間は2時間まで、歩くルートも定められている、など厳しい制限がありますが、希少な動植物の保護のために私たちも協力する必要があります。
高台に登ると、小笠原のイメージするパノラマが広がっています。奥の入江は扇池と呼ばれ、絶えず沖合から大きな波が岸壁に打ちつけてしぶきをあげていました。ここの砂浜はサンゴからできているため、不純物がなく真っ白なのが特徴的です。そのため、直射日光があたっても本土のように熱くならず、裸足でも歩けるほどです。
さらに特徴的なのは、海岸奥にあるヒロベソカタマイマイの半化石の山です。一帯にたくさんのマイマイの殻が見られますが、小笠原諸島だけで約100種類のマイマイがいたことが判明しており、範囲の狭さと種類の多さが世界でも類を見ないことから、2011年に世界遺産に認定されました。南島にあるこのマイマイの存在が世界遺産認定に大きく影響を与えたのは間違いないとのお話もあり、興味深いお話も聞くことができました。
今回は、ヨーロッパよりも遠い東京都をご案内し、大自然をお楽しみいただきました。冬場の時期でも20度から15度程度なので、日中の観光もしやすく快適な気候でした。年間でも安定した気温なことも、シーズンに左右されない小笠原の魅力の1つかもしれません。春以降で発表している小笠原の旅は下記よりご覧ください。
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