視察レポート

視察レポート

2021年01月29日

出雲街道の宿場町・津山

東京支店 酒井康行

2020年10月上旬、「ベンガラの町・吹屋と備中松山城の旅」(帰着レポートはこちら→)の添乗を終えた後、帰京せずに出雲街道の宿場町、津山を視察して参りました。その様子をご紹介します。

出雲街道の宿場町・津山

播磨国姫路(兵庫県姫路市)を始点として出雲国松江(島根県松江市)に至る出雲街道。その播磨国寄りに位置する美作国の中心地として栄えたのが津山です。
津山は古代律令時代より美作国の中心地として栄え、山地の多い美作において平野面積が大きな津山盆地に位置するため、出雲街道の宿駅も置かれていました。
戦国時代後期には、森蘭丸の弟の森忠政が18万6500石を拝領し入封を果たし、中世に山名氏が築城した鶴山城跡地に築城し、新たに城下町を築くとともに、鶴山という名称を「津山」へと改称しました。
森家が断絶した後は、越前松平家が10万石で入封することとなりました。

津山駅と津山城とを繋ぐ吉井川に架かる今津屋橋
津山の目抜き通り「ごんご通り」
高瀬舟とごんご(河童)、周囲を山に囲まれた津山において吉井川を進める高瀬舟は瀬戸内海へ直接通じているため大いに活躍しました。また、その吉野川には河童が住んでいて、泳ぐ人の足を引っ張ていたのにもかかわらず、住民からは愛されていたそうです。

そもそも出雲街道とは?

古代は都、すなわち大和と出雲とを結ぶ官道で、国司が中央から赴任する道としての役割を担っていました。
後鳥羽上皇(1180生~1239没)と後醍醐天皇(1288生~1339没)が、ともに倒幕に失敗し隠岐島へ配流となった際に通った道としても有名で、その後は、「参勤交代の道」として、津山、勝山、広瀬、松江などの各藩主が利用しました。

そもそも出雲国には出雲大社や美保神社があるため、そこへ参詣する西参り、すなわち信仰の道としての意義が極めて強く、さらには、山陰地方には良質の砂鉄が取れるため、砂鉄から鉄を作る「たたら製鉄」が盛んであり、砂鉄や鉄製品は、この道を通り山陽方面へ運ばれたのです。そして綿や木綿、朝鮮人参、木蝋燭などの産物も往来し、さらに、境港に陸揚げされた水産物や宍道湖のウナギなども、阪神方面に運ばれたため、様々な意義を出雲街道は持ち合わせていたのでした。

津山の城東地区を通る出雲街道

津山の見どころ①重要伝統的建造物群保存地区の城東地区

津山の町をほぼ東西に貫流する吉井川の北側に位置して、吉井川に平行するように通る出雲街道沿いの商家の町並みが美しい城東地区。宿場町として栄えた往時の面影をそのまま残した建物が連なっています。

街道に面する城東むかし町家(旧梶村邸)は、元禄時代(江戸時代)に建てられた町家。この邸宅では、茂渡籐右衛門(しげとうとうえもん)が、1767年(明和4年)に津山藩から「札元」(今の銀行)を命じられ「藩札」の発行をしていました。また、少し奥まった場所に位置する津山洋学資料館は、津山で活躍した洋学者たちの軌跡を辿ることが出来る興味深い施設です。

洋学、あるいは蘭学は、江戸時代に西洋からもたらされた進んだ学問の総称です。江戸時代の日本は「鎖国」政策によって海外との交流が厳しく制限されており、唯一交流を図ることを許されていたオランダから、西洋の学術に触れることが出来ました。幕末の開国後は英語・フランス語など様々な西洋の言語が入り、それぞれの言葉を使った研究が始まり、総称として西洋諸国の学問は「洋学」と呼ばれるようになりました。

当時は西洋諸国が植民地を求めてアジア進出を目指していた時期で、アジア諸国は植民地政策に対する危機感から、研究分野も医学などの自然科学中心から、応用化学・社会科学へと広がっていったのです。そのような雰囲気が醸成されている中、津山を中心とする美作地方は、江戸時代後期から明治初期にかけて、宇田川家や箕作家をはじめとした日本の近代化に貢献した優秀な洋学者を輩出しています。彼らの功績をこの資料館にて学ぶことが出来ます。

城東むかし町家(旧梶村邸)
津山洋学資料館

津山の見どころ②日本三大平山城のひとつ津山城

平野の中にある山や丘陵などに築城された城を「平山城」と呼びますが、津山城は日本三大平山城のひとつとして知られています(ちなみに他の2つは姫路城と松山城)。それゆえに津山の町歩きを楽しんでいても、視界が開けた場所からは常に津山城を望むことが出来るため、津山散歩の重要な目印にもなることでしょう。

ライトアップされた津山城

15世紀中頃に、美作国の守護大名であった山名教清の命により、一族の山名忠政に丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが起源です。その後、応仁の乱によって山名氏が衰退すると廃城となり、1603年に森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩されると、城の再建に着手し、城名も「鶴山」から「津山」に改められました。往時は外郭を含めると、77棟の櫓が建ち並ぶという立派さで、こちらは姫路城を凌ぐ規模でした。
現在は桜の名所となっており、日本さくら名所100選にも選ばれています。また、夜はライトアップされていますので、日夜で異なる表情を楽しむことも可能です。

津山の見どころ③洗練された美しさ「旧津山藩別邸庭園(衆楽園)」

衆楽園(しゅうらくえん)は、津山藩2代藩主・森長継が、17世紀の明暦年間に京都から作庭師を招いて造営させた近世池泉廻遊式の大名庭園です。元禄11年(1698年)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の私的な別邸として使われ、明治3年(1870年)に「衆楽園」と命名され、一般公開されました。

この庭園は京都の仙洞御所によく似ており、島の配置や水面に映る島影の美しさ、四季折々の樹木の枝ぶりにも、洗練された美を感じることが出来、定評があります。春は桜、夏は睡蓮、秋は紅葉、冬は雪景色と、四季折々の風景を楽しめ、朝は7:00から開いているために、旅行者のみならず津山市民にとっても憩いの場となっています。平成14年9月には「旧津山藩別邸庭園(衆楽園)」として国の名勝に指定されました。

旧津山藩別邸庭園(衆楽園)

津山の見どころ 番外編 津山まなびの鉄道館

JR津山駅の西のはずれに、鉄道ファンには垂涎の施設「津山まなびの鉄道館」があります。ここには国内に現存する扇形機関車庫の中で2番目の規模を誇る「旧津山扇形機関車庫」があり、さらに収蔵車両を中心とする様々な展示も興味深いため、鉄道がお好きな方には是非とも立ち寄っていただきたい施設です。尚、どうしても時間の都合で開館時に訪問することが叶わない方であったとしても、扇形機関車庫だけであれば施設外からも見ることが出来ますので、諦めないでくださいね。

扇形機関車庫
日本を代表するロックバンド「B’z」のボーカル稲葉浩志さんが津山出身とあって、津山駅前には大きな看板が掲げられていました

津山の食事 宿場町での城東とうふやB級グルメの代表格「津山ホルモンうどん」

重伝建の城東地区の東側に「津山城東とうふ茶屋 早瀬豆富店」があります。素材の良さを最大限に引き出した豆乳作りやにがりを加える量、温度管理に至るまで、創業以来70年間守り続けたこだわりの豆富。豆の品種は、岡山県奨励品種であるサチユタカ・トヨシロメ、在来種であるモチダイズを使用しており、豆本来のまろやかな甘みと深いコクが特徴です。また、青大豆の豆富は、キヨミドリという品種を使用しており、白大豆の3倍の甘みがあると言われています。

にごりにもこだわり、瀬戸内海産の天然にがりである瀬讃のにがりを使用しています。そのためカルシウムとマグネシウムが多く含まれています。そして手づくりにこだわり続けていらっしゃるのは、毎日の温度・湿度の違いを肌で感じ、目でみて、自信をもってお勧めできる豆腐の完成まで確認しているからだそうです。

がらっとかわって、B級グルメの代表格「津山ホルモンうどん」。ホルモンから出る独特の旨味がうどんや深みのあるタレと絡み合い、空腹満腹問わず、思わずぺろっといけてしまう癖になる味です。ビールとの相性も抜群ですので、ご興味のある方は、是非、自由食の際に挑戦してみるのも良いでしょう。

歴史を紐解くと8世紀初旬、津山で牛馬の市が開かれた最古の記録が残されています。津山地域は古くから牛馬の流通拠点であり、また肉食が禁止されていた明治以前でも、津山は滋賀県彦根市と並び、全国でも稀な「養生喰い」の本場であったそうです。「養生喰い」とは、「健康のために食べる」、「薬として食べる」という意味です。津山の牛肉は全国的に有名であったようで、その証拠に、開国後外国人が多く日本に入ってくる中で、神戸に慰留した外国人は津山の養生喰いのおかげで牛肉の入手に苦労しなかったと言われているほどです。

歴史はこの辺にして、まずはお試しください。私の個人的なお勧め店は東津山駅付近にある「くいしん坊」。カウンター席に座って、マスターが料理している様子を見ているだけで、食欲がそそられますよ。

津山城東とうふ茶屋 早瀬豆富店
津山ホルモンうどん
くいしん坊のカウンター席
くいしん坊

久世(くぜ)トンネル桜と新庄がいせん桜 出雲街道・春景色の旅【4日間】

西日本の春景色を楽しむ旅として、桜の名所が集まる岡山県旧出雲街道の津山周辺へ。日本三名園の一つ後楽園、津山城跡に咲き乱れる桜、桜が道路上を覆うように咲くことから名づけられた久世トンネル、宿場町の中に桜並木が続くがいせん桜などバリエーション豊かな桜の名所を毎日訪ねます。

出発日:3月30日(火) 、 4月6日(火)
旅行代金:¥185,000

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