【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年02月08日

【帰着レポート】お江戸日本橋から京の三条大橋 東海道五十三次の旅

2020年12月8日発~12月13日 6日間 添乗員:東京支店 長谷野博紀

<12/8発・添乗員 長谷野博紀>

このたび、東京の日本橋から京都の三条大橋まで488キロを走破する6日間のツアーに添乗いたしました。

江戸時代に7年の歳月をかけて整備された東海道五十三次。これを辿る旅は弊社でも初企画ということもあり、実際に現地視察を経てのツアー実施となりましたが、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」で描かれた風景に想いを馳せながらの旅行となりました。今回は厳選して訪問した宿場町や見どころをご紹介します。

五十三次のひとつ関宿の様子
関宿を少し高い所から撮影

東海道をはじめ5街道の基点、日本橋

日本橋は歌川広重の浮世絵にも描かれているように、1935年に築地市場が出来るまでは江戸の魚市場でした。その名残を「乙女の広場」に見ることができます。

また、1964年の東京オリンピック時のインフラ整備により、日本橋の上部に首都高速道路が建設されました。そこを走るドライバーにも道路の基点が分かるように塔が付けられていることなどガイドさんより詳しい説明を受けました。

日本橋の上部、首都高速を走るドライバーにも分かる東海道の基点

ギネスブックにも登録される世界最長の木造橋「蓬莱橋」

全長897.4mある蓬莱橋。振り返ると富士山が遠望できます。

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と詠まれた大井川。江戸時代には東海道の難所の一つであり、橋渡しの人足が集う一大宿場だったのが島田宿です。旧街道沿いには昔ながらの家並みなども残されていました。

また、その近くにあるのが蓬莱橋です。全長897.4キロから、渡ると「厄なし(8974)」になるという縁起の良い橋ともいわれますが、もともとはこの地を茶畑として開墾するために架けられたもので、袂には開墾を支援した勝海舟の銅像が立っています。橋が架けられたのは明治時代に入ってからですが、橋上からは富士山も遠望できるのでおすすめの訪問地です。

東海道随一のお土産品・有松絞りで栄えた有松宿

53次の宿場には入っていませんが、間宿(宿場と宿場の間にある休憩地)として発展したのが有松宿です。

この町の繁栄した理由が、東海道を往来する旅人に故郷への土産品として愛された有松絞です。

今でも人気の名産品ですが、その人気っぷりから歌川広重も鳴海宿ではなく、有松宿を浮世絵に描いているぐらいです。現在も絞会館にて実演や伝統的な作品を鑑賞できます。

有松絞で財を成した歴史的建造物が建ち並びます

伝統的な穴太衆積みの石垣

坂本の町に見られる穴太衆積みの石垣

安土城を築城した滋賀県には、安土桃山時代から活躍した石工集団、穴太衆(あのうしゅう)が活躍していました。「石の声を聞け。」という教えが伝わり、大小さまざまな自然石が巧みに積み重なっている様子は芸術です。比叡山・延暦寺の門前町・坂本でその石積みを見ることができました。

旅の最後は三条大橋にて

東海道53次のゴール地点は京都の三条大橋です。

現地ガイドのご案内の下、三条大橋の擬宝珠に付いている池田屋事件の傷跡や、鴨川の河川敷まで下りて歴史の解説を受けました。

何より、江戸の日本橋から約488キロをかけて旅をしてきた景色が思い出され、達成感を得たというお声を多く聞かれました。

京都・鴨川に架かる三条大橋。周辺をガイドさんと歩いて見て回りました

各地の名物料理もご用意しました

焼き蛤をはじめ蛤尽くしの会席料理を桑名でお楽しみいただきました

三島のうなぎや、「その手は桑名の焼き蛤(ハマグリ)」の遊び言葉で知られる桑名の蛤をはじめ、箱根の峠越えでは江戸時代から続く茶屋での甘酒など、その土地の名産をお楽しみいただきました。

実際に歌川広重の浮世絵に描かれていた景観が残されている場所も数多くあり、往時に想いを馳せるとともに、日本の歴史や伝統にふれることができる旅となりました。

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