歴史ある風景
歴史ある風景
2021年01月26日
美しい白壁の町・倉敷はいかにしてできたのか。
本社:プランニング事業本部 乗田憲一
年間350万人もの観光客が訪れるという倉敷。昨年は流石にひっそりとしていましたが倉敷川沿いに並ぶ白壁の蔵がずらりと残る町並みは郷愁を誘います。
倉敷川も小さいし、周囲に大きな町はなく、倉敷に何故これだけの蔵が並んでいるのでしょう。室町以前の古地図を見ると、何と倉敷周辺は海。瀬戸内海らしい多島海でした。戦国時代辺りから干拓が始まり、田畑が作られ、米どころとなりました。江戸時代、ここは天領(幕府の直轄地)となり、米の一大集積地となりました。こういう土地を「倉敷地」といいます。そう、「倉敷」の名前の由来です。田畑の開発を助けた豪商たちは、天領時代になると米の売買を代官より委託され、米価をコントロールして大阪・堂島へ売りさばいていました。つまり倉敷川沿いに残る蔵が集中しているのは、彼らが築いた米蔵だったのです。
「旅館くらしき」もそのひとつ。米蔵、砂糖問屋の蔵を改装したわずか8部屋の高級旅館。棟方志功や司馬遼太郎が愛した部屋は築260年の米蔵です。機能性としては劣りますが、宿泊して往時の雰囲気に身を置くことも旅の醍醐味のひとつ。外国人観光客にも人気というのもわかります。出されるお食事は目にも美しく、料理人の心意気を感じます。
倉敷はまだまだ日帰り観光が多く、滞在時間は1~2時間と言います。ぜひ一度、宿泊して朝夕の観光客のいない町を歩くと印象深い訪問地になるかもしれません。ちなみに、掲載している写真は全て昨年倉敷を訪れた際に撮影したものです。
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