歴史ある風景
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2021年02月02日
平清盛が、勝海舟が見抜いたポテンシャル。世界も認める良港、神戸の秘密
本社:プランニング事業本部 乗田憲一
神戸は横浜と並び異国情緒溢れる町というイメージが強いですが、それはやはり幕末、西洋への『開港』から来るものだと思います。でも神戸は、中世には既に世界へ開いていた港であり、平家の平清盛が行なった一大事業、日宋貿易(中国王朝「宋」との国際貿易)の拠点となったのが「大輪田泊」、今の神戸です。
瀬戸内海の航行を悩ませていたのが強い偏西風。神戸には六甲山があり、海を挟んで淡路島があります。現代でいう高層ビル街の「ビル風」みたいで、これが大阪湾まで達します。神戸は西端に和田岬、ぐるりと囲む六甲山が風を抑えてくれます。さらに水深が12m。これが決定的。800年前ですから清盛が科学的に分析していたとは思えませんが、まさに天然の良港だったのです。
その後、航行技術の向上、大阪・堺の発展もあり、神戸は主役の座を譲ります。しかし幕末、勝海舟がそのポテンシャルを「再発見」、幕末開港へとつながります。神戸独自の雑居地制度により、山手や北野に洋館が生まれ、この「雑居」により国際文化交流が進み、国際都市へと発展します。
神戸以西の鉄道開発が始まると、外国人技術者たちが須磨や塩屋周辺に家を建てました。昭和初期、神戸生まれのジェームス氏が大規模な外国人向け居留地を建設。自宅は「ジェームス邸」として今は美味しいフレンチを食することができます。
平清盛が、勝海舟が信じた可能性は、国際色豊かな港町として実現したのです。
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