町並み百選
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2021年03月25日
越後の城下町 新発田(しばた)の町並み
プランニング事業本部 吉田義和
町並み百選や視察レポートで度々新潟を取り上げてきましたが、新潟市の中心部は北前船を中心とした商業の町であり、江戸時代は藩主のいる行政の中心ではありませんでした。いわゆる越後の諸藩というと、長岡藩や高田藩、村上藩などが挙げられます。譜代大名が多く藩主となる中で、ひとつ外様大名として江戸時代を生き抜いたのが新発田(しばた)藩です。今回は、江戸時代に越後随一の米どころとして栄えた城下町、新発田(しばた)をご紹介いたします。
珍しい3つ鯱の櫓を持つ新発田城
新発田、といってもどこにあるのかピンとこない、という方も多いかと思いますが、場所は新潟市のすぐ東のお隣です。新潟市から市バスも出ていますし、特急いなほに乗れば2駅20分と新潟市からの小旅行には最適の立地です。新発田、という名前は上杉謙信の時代に重臣として仕えた新発田家に由来します。秀吉の時代には秀吉家臣の溝口秀勝が藩主となり、以来14代、明治に至るまで統治が続きました。溝口家の居城として建造されたのが現在の新発田城です。敷地のほとんどが自衛隊の駐屯地となっていますが、かつて天守として利用された三階櫓や本丸表門などが整備され、残されています。三階櫓の屋根は三又になっており、その上には3つの鯱が冠されています。鯱といえば一対二体が原則ですが、新発田城でなぜ3つの鯱が置かれたのか、まだ資料がなく誰にも分からないそうです。駅から新発田城までは2㎞ほどの道のりですが、途中歴史好きには見逃せないスポットがあります。堀部安兵衛の生誕地です。堀部安兵衛武庸(たけつね)は、ここ新発田の地で溝口家の家臣中山家に生まれます。幼くして両親を亡くし、浪人として江戸へと出た武庸は、剣術で名を馳せ、赤穂藩の家臣堀部家の婿養子に迎えられます。その後は「忠臣蔵」でもよくご存じの、仇討の急先鋒、堀部安兵衛となるのです。残念ながら生家は残されていませんが、生誕地には大きな石碑が建てられています。
新発田駅から歴史の町並みを歩く
駅から少し離れた場所にある新発田城に比べ、歴史的な街並みは駅からほど近いところに集中しています。新発田駅を出てすぐの場所にあるのが諏訪神社。「おすわさま」と親しまれる新発田の総鎮守です。長野県の諏訪大社の分社でもあり、境内には諏訪大社下社から下賜された「御柱祭」の柱のひとつ「春宮一の柱」が安置されています。そこから少し歩くと、大きな蔵造りの建物が見えてきます。市島酒造です。初代新発田藩主、溝口秀勝に随伴して新発田入りした市島家が創業した酒造で、約400年の歴史を持っています。内部はもちろん酒造りも行っていますが、一部は博物館として市島家所蔵の家宝や木樽などを展示しています。利き酒も楽しむことができますので、新発田ではぜひ立ち寄っていただきたい場所です。
さらにその先には名園「清水園」があります。京都から高名な庭師を呼び寄せ造園されたこの庭園は、東屋をいくつも配置した風情ある回遊式庭園で、当時の新発田藩の繁栄ぶりがうかがえる庭園です。一角には堀部安兵衛の刀や、国旗「日の丸」を発案したという藩主溝口氏の宝物が展示されており、興味深いものでした。清水園の向いには当時の武士の生活を物語る足軽長屋もあり、江戸時代の生活、文化にじっくりと触れられる場所となっています。清水園を訪れた際にはぜひ「新柳」にお立ち寄りください。名物のわらび餅をはじめ、ずんだのロールケーキや新発田パフェなどお勧めのスイーツを置いているお洒落な和菓子屋さんです。
清水園や足軽長屋を訪ねた後は、少し北の寺町通を歩いてみましょう。新発田城下町を整備する際、寺を一角に集め「寺町」としたかつての姿が今も残ります。黒塀と水路が印象的な落ちついた街並みです。途中には寺町休憩所もあるので、ここで一息つくのもよいでしょう。
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