【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2021年05月13日

【帰着レポート】貸切りで安心。陽春の三陸鉄道の旅

2021年5月2日(日)~5月4日(火) 3日間 添乗員:東京支店 田中弥也子

<5/2発・添乗員 田中弥也子> 
 大型連続休暇中の三陸地方へ行って参りました。ツアータイトルに「陽春の」とついているように、1日目は生憎のお天気でしたが、2日目、3日目は暖かな気候の中、三陸や遠野の風景、文化をご覧いただくことができました。弊社では、三陸地方へ行くツアーが度々出発しており、帰着レポートも各添乗員より配信させていただいております。今回、私からは、新日鉄で繁栄した釜石地区の「鵜住居復興スタジアム」を中心にご紹介させていただきます。2019年のラグビーワールドカップで会場となったスタジアムに込められた様々な想いに深く感銘を受けました。

ラグビーワールドカップの会場 国内外に東北地方の復興を発信した「鵜住居復興スタジアム」

 2019年、ラグビーワールドカップの会場の一つとして利用された岩手県釜石市の「鵜住居復興スタジアム」。かつて、釜石だけでなく日本中を沸かせた新日鉄釜石ラグビー部(現在の釜石シーウェイブス)があることから、釜石は「鉄と魚とラグビーの町」と称されます。
 スタジアムの最寄り駅である三陸鉄道の鵜住居駅は、無人駅で、2畳~3畳ほどの待合室を兼ねた駅舎が建つだけの駅で、ワールドカップ当時、約1万2千人の観客が利用したとは到底想像がつかないような駅。ご参加の皆様も驚かれていました。
 2011年3月11日、忘れることのない東日本大震災にて、この鵜住居周辺も甚大な被害を受けました。「鵜住居復興スタジアム」は、もともと釜石東中学校と鵜住居小学校が建てられていた跡地に建設されています。古くから津波の被害があったこの地域では、群馬大学で防災研究をされていた片田教授(現・群馬大学名誉教授、東京大学特任教授)のもと、子どもたちへの防災教育が行われていました。その成果もあり、震災当時4階建ての校舎が全て飲み込まれたほどの被害を受けた学校で、いつものように生活していた学生は、中学生を先頭に、次いで小学生が、地域の高齢者の手を引きながら率先して高台に避難しました。「防潮堤があるから大丈夫」と考えるのは、寧ろ大人の方で、防災教育がしっかりと行き届いていた子どもたちは、自分たちの意志と判断で逃げ切ることができました。震災当時、学校を休んでいた方や、誘導のため逃げ遅れた方など、ここにいた全ての方が助かったというわけではありませんが、多くの方々が助かったその避難行動は、「釜石の奇跡」と呼ばれています。
 現在、小中学校は高台に移転され、跡地に「鵜住居復興スタジアム」が建てられました。スタジアムには、「あなたも逃げて」と書かれた、あの日逃げ切ることができなかった方のご遺族が遺された碑や、山の上まで続く避難路が設置されています。
 常設席は6000席とこじんまりとしたスタジアムではありますが、東京ドームや同じ震災の被害を経験した熊本県などから寄せられたイスが設置され、「絆シート」という名前で利用されています。青空に映える真っ白の屋根は、空に羽ばたく鳥の羽のように、そして、大海原に出る帆船の帆のように、イメージされたもので、復興し再び羽ばたくという大きな気持ちが込められているように感じました。

鵜住居復興スタジアム 空に羽ばたく鳥と大海原に出航する帆船をイメージされた屋根
スタジアム全貌
観客席
スタジアム裏の避難路

 東日本大震災から10年ということで、震災からどのように立ち上がったのか、また震災の教訓を現地の方からご教授いただく特別プログラムもありながら、ゴールデンウィーク中のご旅行も快適な三陸鉄道貸切り乗車や、景勝地の観光、三陸の山海の幸もお楽しみいただく旅となり、3日間という短い期間で三陸地方と遠野市の魅力をギュッと凝縮した旅となりました。
 まだまだ完全復興とはならない三陸地方ですが、このように旅を通して、あの日を風化させず、また復興し新たに変わっている三陸地方の魅力を皆様にご紹介させていただき、少しでも更なる三陸地方の復興の手助けができればと感じ、帰着の途につきました。

三陸鉄道貸切乗車 車窓からの景色

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