【国内】帰着しました。添乗員レポート
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2021年03月29日
【帰着レポート】ちょっと贅沢な沖縄の旅【5日間】
2021年3月7日(日)~3月11日(木) 5日間 添乗員:東京支店 池田 昂陽
<3/7発 添乗員:東京支店 池田昂陽>
沖縄本島を巡る5日間の旅に添乗してきました。
沖縄といえば、海のリゾートのイメージが強いですが、今回の旅では海だけではない沖縄の多彩な表情に出会ってきました。中でも琉球王朝時代からの歴史と伝統が今でも生活に根付いている琉球文化をご紹介します。
新たなる沖縄のシンボルを目指して、復興中の首里城
琉球王国の栄華を今に伝えるグスク(御城)の城趾「首里城」。2019年の火災が記憶に新しいところですが、現在は復興作業の真っ最中です。建造物の多くが消失し、かつて堂々たる正殿があった場所にはプレハブ小屋が建ち、周囲には瓦礫が集められていたりして、火災の被害の大きさを痛感しました。それでも世界遺産となっている正殿遺構の部分は残っており、ご覧いただくことができました。
首里城と共に訪れたのが、こちらも琉球王朝時代の遺産群の一つ「玉陵」です。尚真王が父である尚円王の遺骨を改装するためにつくった、歴代の琉球王朝の陵墓です。沖縄戦により破壊されてしまいましたが、以後復元され、その後、沖縄県内の建造物として初めて国宝指定を受けました。首里城も同じように美しい姿に復興してほしいと願うばかりです。
琉球時代から続く、沖縄伝統工芸「やちむん」
沖縄の方言で焼き物を指す「やちむん」。今では暮らしの中で愛用されていますが、歴史は古く、朝鮮王国時代に遡ります。中国をはじめとした外国との貿易により陶器が持ち込まれて技術が発展していったとされています。
今回2泊宿泊したハイアットリージェンシー那覇のすぐ目の前にあるのが「壺屋やちむん通り」。1682年に尚貞王(しょうていおう)が焼き物産業の振興を目的に、点在していた陶工を集めた場所で、今でもやちむんのお店や工房、カフェが並んでいます。
琉球王国時代には泡盛の輸出のために大きな壺などが製作されていましたが、沖縄県へと変わると、軽くて丈夫なものが多く入ってきたため、やちむんは壺からお皿などの生活用品へと変わっていきました。やちむん通りの周辺に住宅が増えると、登り窯からあがる煙が公害とされてしまい、やちむんの中心地は読谷村へと移ることになります。 那覇で2泊した後に訪れたのがこの読谷村の「やちむんの里」です。今でも現役の立派な登り窯があり、19の工房が集まっています。工房ごとにデザインや色味が異なり、それぞれの特徴を見比べながら、お気に入りのやちむんを探しました。ご自宅でも琉球王朝からの文化を感じていただけることでしょう。
日本初の漆芸専門美術館の琉球漆器コレクション
やちむん(焼き物)に続いては、漆器です。
琉球王国時代、貿易が盛んだったことから、中国から伝わったとされている14世紀ごろからの文化が琉球漆器です。乾燥のための温度と湿度が重要な漆器において、沖縄の温暖な気候は最適だったため、優れた漆器が作られました。特に琉球王朝の首都だった浦添は経済的にも豊かで、文化振興も盛んでした。その浦添に建てられたのが、日本発の漆芸専門美術館の「浦添市美術館」です。展示室には朱漆や黒漆塗りの漆器が並んでいましたが、そこに描かれている文様の細かさには驚きました。展示品の中で最も印象に残ったのは「朱漆恵比寿文箔絵鯛形食籠」という鯛の姿をかたどった総体朱漆塗りの食籠でした。色味も文様もすべてがおめでたい漆器。お祝いやおもてなしの時に使用されるというこの“ハレの漆器”は目を楽しませてくれる逸品でした。 浦添市美術館はその建物も魅力的でした。世田谷美術館の設計で知られる建築家、故・内井昭蔵氏の作品で、高くそびえる塔や回廊など、様々な国や文化の要素が混じった多国籍風の建築です。沖縄では初の公立博物館ということもあり、県内でも大切な建築物です。
海の美しさはもちろん沖縄の大きな魅力ですが、かつての琉球王朝に思いを馳せ、文化的な側面で沖縄を見つめてみるのも面白いですよ。
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