【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2020年09月14日

海野宿、渋温泉、草津と東山魁夷館の旅

2020年9月13日~9月15日 3日間 添乗員:東京支店 渋江恭子

長野県の宿場町、海野宿(うんのじゅく)や東山魁夷館を楽しみ、長野と群馬の2つの温泉でくつろぐ旅に添乗してまいりました。なかでも印象に残った長野県東御市にある海野宿についてご紹介します。

江戸と明治が交錯する海野宿(うんのじゅく)を歩く

旅は真田氏ゆかりの地、上田から始まり、バスにて約15分で海野宿に到着しました。

海野宿は中山道と北陸道を結ぶ北国街道沿いにあります。江戸時代は佐渡の金を江戸に運ぶ途上の町として、また善光寺に参拝する際に一夜を過ごす宿場町として賑わいを見せ、明治時代には養蚕業が発展しました。現在も往時の街並みが残り、昭和62年には文化庁が認定する「重要伝統的建造物群保存地区」に登録され、日本の道100選にも認定されています。

江戸、明治・大正の家屋が競演する海野宿の街並み。ゆっくり時間の流れるなかで観光ができました

650メートルのメインストリートには、江戸時代の旅籠造りの木造建築と、明治・大正時代の漆喰の建築が並び、茶と白のコントラストが景観に変化を与えています。海野宿に並ぶ建物の多くの屋根にはさらに小屋根がついていますが、これは「気抜き」と呼ばれるもので、蚕の成長をうながすために室内で火を焚いたので、その煙を排出するために作られました。

また、2階の格子には「海野格子」と呼ばれる長短二本ずつの棒が交互に組まれた独特な方法が採用されていました。

海野宿の建物でもうひとつ、特徴的なのが「卯建(うだつ)」です。本来の役目は防火でしたが、次第に凝った装飾が施されるようになり、家の財力を象徴するようになりました。

長さが異なる格子が独特の美しい模様を作ります

ここから「うだつが上がらない」とは、生活や地位が上がらないことを表すようになりました。美しい装飾の卯建を持つ家は確かに堂々とした構えをしており、在りし日の栄華を物語っています。

江戸時代の卯建
明治時代の卯建

メインストリートの端に佇む白鳥神社は海野宿ゆかりの海野氏、真田氏の守護神として祀られる日本武尊(やまとたけるのみこと)を縁起とする歴史ある神社です。ここでは宮司からお祓いをしていただいた後、海野宿と神社の歴史をお話いただきました。

境内にはもうすぐ樹齢800年とされるけやきの木がそびえ、悠久の時の流れを感じました。 この日は弊社のお客様以外は海野宿を歩いている観光客はほとんどおらず、ゆったりと散策できたのも、より印象を深めてくれました。

華やかな観光地ではありませんが、だからこそ、日本古来の侘びさびの魅力をしみじみと感じられる町でした。

白鳥神社ではお祓いもしていただきました

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