【国内】帰着しました。添乗員レポート
【国内】帰着しました。添乗員レポート
2020年10月23日
田沢湖から白神山地、男鹿半島へ 秋田周遊の旅
2020年10月12日~10月16日 5日間 添乗員:東京支店 酒井 康行
<10/12発・添乗員 酒井康行>
白神山地の十二湖(青森県)以外はすべて、秋田県の見どころを凝縮させた4泊5日の秋田周遊の旅。バスドライバーさんやバスガイドさんも「秋田県のみのツアーは非常に珍しく、本当にありがたいです」とおっしゃっていました。 10/5発および10/12発と2本ともに催行され、10/5発に関しては、桂智洋よりおもに自然についてレポートしましたので、ここでは、秋田を代表する観光地の「角館」と「男鹿半島」に関して、見どころや工芸品、伝承などについてご紹介します。
人気の角館へ
武家屋敷や樺細工、味噌醤油醸造元など充実の観光プログラム
武家屋敷
角館は現在も藩政時代の地割を受け継ぎ、「みちのくの小京都」とも呼ばれています。春の桜並木で有名な桧木内川に並行するように走る武家屋敷通りが角館観光の中心で、石黒家や青柳家に代表される武家屋敷が軒を連ねています。
石黒家は、破風のついた玄関や、角館に現存する最古の母屋など、見どころに尽きませんが、さらに蔵には、秋田藩士であり平賀源内が洋画を学んだ江戸の画家、小野田直武が挿絵を描いた解体新書初版本のコピーが展示されており、実に興味深いです。一方、青柳家の「武器蔵」には、青柳家のルーツを伝える貴重な鎧・兜等の武具が収められており、なかでも家宝である六十二間小星兜や五輪塔旗印など、家の誉れを象徴する数々の武具には、武士としての誇りが宿っています。
伝統工芸の樺細工
2つの武家屋敷に加えて、ご案内したのは樺細工(かばざいく)伝承館。樺細工は桜の樹皮を利用して作られる工芸品で、茶筒や小箱、煙草入れなどに利用されます。
樺細工という名前ですが、実際に樺類が利用されることはなく、命名の由来は諸説あります。古代にヤマザクラを樺や樺桜と呼んでいたからという説、万葉集の山部赤人の長歌にヤマザクラを「かには(迦仁波)」と表現していたからという説、またエゾヤマザクラを意味するアイヌ語「カリンパ」から派生したという説もあります。
角館に樺細工の技法が伝わったのは天明年間(1781~1788)。角館の佐竹北家によって秋田県北部の阿仁地方から角館に技法が伝えられたとされ、藩政時代は下級武士の副収入源として藩主の手厚い保護の下、その技法は定着していき、その伝統はすでに200年を超え角館に根付いています。
味噌醤油醸造元
武士の居住区である内町の見学後は、町人の居住地である外町へ移動。こちらでご案内したのは「安藤味噌醤油醸造元」です。
安藤家は享保の昔から地主として角館に住み、小作米として入ってくる米の一部を原料として味噌を醸造し、合わせて醤油も造るようになりました。内部では蔵座敷を見学。移動可能な敷居を用いて二分割することが可能であり、幕末から明治にかけて活躍した平福穂庵(ひらふくすいあん)第一の弟子、西宮礼和(にしのみやれいわ)画伯が腕をふるった襖画は実に見事です。地域共通クーポンが使用できましたので、家伝つぶみそ・家伝醤油など、お買い物もお楽しみいただけました。
食に、伝統文化にふれた男鹿半島
名物「石焼鍋」のお食事、なまはげ文化を楽しみました
名物の「石焼鍋」
北緯40度線上にある男鹿半島北西端に位置する入道崎。建物もテーブルクロスも店員さんのエプロンもすべてオレンジ色、すなわち名産のウニ色に統一されているお食事処「みさき会館」にて昼食をいただきました。
メニューはウニ刺しを加えた「入道崎名物 石焼鍋定食」。鯛、カワハギ、カニ、岩海苔、ネギの入った味噌汁の中に、熱せられた石を投入すると、たちまち味噌汁が沸騰し、磯の香りが漂いました。風が強く寒かっただけに、石焼鍋のおかげで、体もぽかぽかになりました。
真山神社と男鹿真山伝承館
食後は真山(しんざん)神社へ。この神社を中心に、男鹿半島各地の伝統として受け継がれているのがなまはげ文化です。
毎年、大晦日の晩になまはげが各家庭を巡り、悪事に訓戒を与え、厄災を祓い、豊作・豊漁・吉事をもたらすべく「怠け者はいねが、泣く子はいねが」と練り歩きます。
なまはげの語源は、「なもみ剥ぎ」という言葉が訛ったものと云われています。「なもみ」とは炉端にかじりついていると手足にできる火だこのこと。それを剥ぎ取って怠け者を戒めるのが「なまはげ」なのです。 私たちは男鹿地方の典型的な民家をそのまま利用した「男鹿真山伝承館」にてなまはげの実演を鑑賞しました。
初めに「先立(さきだち)」が、家の主人になまはげを入れても良いかを確認し、その後、なまはげは奇声とともに乱入します。なまはげは家に上がりを7回踏み、奇声を上げ畳を強く踏みしめながら歩き回ります。そして、その家の主人が荒れ狂うなまはげをなだめて丁重にもてなし、なまはげにお膳を添えます。なまはげは座る前にも5回の四股踏み。その後は主人となまはげとの間で様々な問答が交された後、なまはげは来年も豊作であるよう祈願し、再び立ちあがり3回四股を踏みまた歩き回り去っていきます。
四股を踏む行為には、その家の子供達が病気や怪我などせず幸福になれる意味が込められており、「七・五・三」という数は男鹿真山のなまはげ独自のしきたりだそうです。 知ってはいても、なかなかふれることのない秋田の世界無形文化遺産について知るいい機会になりました。
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