視察レポート
視察レポート
2021年02月15日
香川県・高松 視察レポート
東京支店 酒井康行
2020年9月下旬、「徳島の秘境 大歩危祖谷温泉の旅」(帰着レポートはこちら)の添乗で皆様を岡山駅でお迎えする前、一足先に香川県高松入りして、市内及び周辺を視察して参りました。今後、高松で観光されたり自由時間を過ごされたりする際に、ご参考にしていただければ幸いです。
四国を代表する港町・高松
瀬戸内海に面する港町・高松。今も昔も四国の玄関口に変わりなく、四国を統轄する国の出先機関のほとんどや、全国的規模の企業の四国支社や支店の多く、また四国電力やJR四国といった四国を代表するような企業の本社などのほとんどは高松に置かれ、四国の政治経済における中心拠点として高松は君臨しています。
江戸時代には高松松平家(水戸徳川家の分家)が治める高松藩の城下町として栄え、高松城天守がこの街の象徴でしたが、明治時代に破却されると、現在では2004年(平成16年)に完成した高松シンボルタワーが、高松城に替わる新しいランドマークとしての機能を果たしています。そしてその雄姿は、瀬戸大橋や岡山県鷲羽山からも「高松はここにあり」と、はっきりと見てわかります。
高松の見どころ①日本三大水城のひとつ高松城
高松城は瀬戸内海に面して築城された海城で、日本三大水城(高松城・今治城・中津城)のひとつに数えられています。「玉藻城」とも呼ばれる所以は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだからで、高松城周辺の海域が「玉藻の浦」と呼ばれていたことに由来するとされています。
高松城は、豊臣秀吉が四国を制圧の後、1587年(天正15年)、讃岐一国の領主となった生駒親正によって、当時「野原」と呼ばれていた港町に築かれたのが起源です。今日も見られる遺構は、江戸時代初期に徳川光圀の兄で常陸国から12万石で高松に移封された松平頼重によって改修されたものとなり、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀は現存しています。
現在、城跡は「玉藻公園」として整備され、様々なイベントが開催されているほか、市民の憩いの場となっています。
高松の見どころ②日本三名園にも勝るとも劣らずの栗林公園
高松藩主松平家の別邸として、歴代藩主が修築を重ね300年近く前に完成した栗林公園。16世紀後半には地元豪族・佐藤氏の小さな庭でしたが、1631年頃にこの地を治めた生駒家の家臣・西嶋八兵衛によって手掛けられた治水工事により、広大な庭園の基礎が築かれました。庭造りは1642年から高松を治めることになった初代高松藩主・松平頼重にも引き継がれ、100年以上経た1745年、5代藩主・頼恭(よりたか)の時代に完成。以来、歴代藩主が修築を重ね、明治維新に至るまでの228年間、高松松平家の下屋敷として使用されていました。
緑深い紫雲山を背景に6つの池と13の築山を巧みに配し、江戸初期の回遊式庭園として、優れた地割り、石組みを有し、木石の雅趣に富んでいます。春夏秋冬と四季折々の風物にも恵まれ、ここに咲く花々は、一千本もの見事な手入れ松とともに一歩一景といわれる変化に富んだ美しさを醸し出します。
栗林公園の平庭部の広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ヘクタール。これだけでも大名庭園の中では最大級ですが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、なんと東京ドーム16個分の約75ヘクタールにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇ります。
明治の終わりに発行された高等小学読本によると、栗林公園は「日本三名園」とされる水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園よりも「木や石に風雅な趣がある」と記されているそうです。
高松からのショートトリップ①源平合戦の舞台となった屋島
高松の北東に位置する屋島へ琴電琴平線にて向かいました。南北に長い台地状の地形が特徴の屋島は、江戸時代までは陸から離れた島でしたが、その後、江戸時代に開発された塩田や干拓水田が埋め立てられ、陸続きになりました。
今でこそ瀬戸内海国立公園に指定された山頂からは瀬戸内の雄大な眺めをご覧いただけますが、東入江の一帯は古来の檀ノ浦で、治承・寿永の乱、すなわち源平合戦における重要な局地戦のひとつである「屋島の戦い」は、ここを戦場として繰り広げられました。
まずは麓に位置する四国民家博物館、通称「四国村」へ向かいました。ここは四国各地から古い民家や建造物を移築復原した野外博物館で、最初は子供だましかと思って向かいましたが、いざ入ってみるといずれも本格的な展示ばかりで、小豆島農村歌舞伎舞台や祖谷のかずら橋、土佐の蒸し小屋など、四国の伝統や歴史を学ぶのに最適な施設でした。
続いて山頂に位置する屋島寺へ。屋島寺は天平勝宝6年(754年)に唐僧の鑑真和上が屋島の北嶺に普賢堂を建て、持参していた普賢菩薩像と経典を納めて創建されました。
その後、鑑真の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立し、精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職に就任しました。弘仁6年(815年)には、弘法大師が嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪れ、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に遷移。十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置しました。
天暦年間(947年~57年)には、明達律師が四天王像を奉納。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこの当時に造られ、国の重要文化財に指定されています。観音坐像とともに国指定の重要文化財になっている本堂は、鎌倉時代に建立され、江戸時代には歴代藩主の援助によって何度も修築されました。
近くには「獅子の霊巌」と呼ばれる(展望台の下に海に向かって吠えているような獅子そっくりの岩があるため)展望台があり、高松市をはじめ、瀬戸内海に浮かぶ男木島や女木島など、抜群の眺望を満喫出来ます。せんべいのような小さい皿状の土器を投げて開運や厄除けを祈願する「かわら投げ」スポットとして人気があります。
高松からのショートトリップ②イサム・ノグチ庭園美術館
20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチは、モニュメント、庭や公園などの環境設計、家具や照明のインテリアから、舞台美術までの幅広い活動を行った、きわめてユニークな芸術家です。1956年、初めて庵治石の産地である香川県の牟礼町を訪れたノグチは、1969年からは五剣山と屋島の間にあるこの地にアトリエと住居を構え、以降20年余りの間、ニューヨークを往き来しながら石の作家である和泉正敏をパートナーに制作に励みました。
イサム・ノグチ庭園美術館は、この地が未来の芸術家や研究者、そして広く芸術愛好家のためのインスピレーションの源泉になることを強く望んでいたノグチの遺志を実現したものです。150点あまりの彫刻作品はもとより、自ら選んで移築した展示蔵や住居イサム家、晩年制作した彫刻庭園など、全体がひとつの大きな「地球彫刻」、あるいは環境彫刻となっています。
完全予約制で、かつ、見学可能日も限られているため、なかなか気楽に訪問というわけにはいかないかもしれませんが、彫刻にご興味をお持ちの方は、是非訪ねていただきたい野外美術館です。
高松からのショートトリップ③鬼ヶ島こと女木島とタコ飯とアートで有名な男木島
女木島
高松市の北約4kmに浮かぶ女木島へは、高松港からフェリーで約20分と、あっという間に到着してしまいます。島の中央部にある鷲ヶ峰山頂には巨大な洞窟があり、その昔、鬼が住んでいたと伝えられていることから、別名「鬼ヶ島」とも呼ばれています。また、春には島内に植えられた約3,000本もの桜が花を咲かせ、島全体がピンク色に染まる、知られざる桜の名所でもあるのです。
島に到着すると、鬼が両手を広げたような外観の待合所「鬼ヶ島おにの館」が出迎えてくれます。私はここで自転車をレンタルして島を一周してみました。「カモメの駐車場」と呼ばれる防波堤に並んだ約300羽のカモメ(本物ではありません!)や「オーテ」と呼ばれる島独特の石垣などを横目に、頑張って坂道を登り切ると鬼ヶ島大洞窟に到着です。この洞窟は、大正3年に発見された島の中央部、鷲ヶ峰の中腹あたりにある広さ4,000㎡、奥行き400mの洞窟で、夏でもひんやりしています。妖しげな雰囲気が漂う洞窟内を散策すると、鬼の大広間や居間、鬼番人の控え室などが再現されていて、桃太郎伝説の世界にどっぷり浸れること間違いなしです。さらに登ると鷲ヶ峰展望台があり、標高188mの山頂からは瀬戸内海が一望出来ました。
男木島
女木島の北約1kmに浮かぶ男木島へは、高松港から女木島経由で約40分。平地が少ないこの島には、南西部の斜面に階段状に集落がつくられ、港から民家が鱗のように重なり合う独特の景色を見ることができます。
まず島に上陸すると、「瀬戸内国際芸術祭2010」で制作されたスペインの現代芸術家、ジャウメ・プレンサの作品「男木島の魂」が出迎えてくれます。貝殻をイメージした白い屋根には8つの言語の文字がデザインされており、建物自体がアートになっています。現在は「男木交流館」として、島のシンボルになっています。
瀬戸内海には直島や豊島など、「アートの島」がいくつかありますが、実はここ男木島も「アートの島」のひとつで、「路地壁面プロジェクト wallalley」なるものがあり、坂道の石段や石畳が美しい男木島の路地を歩くと、カラフルなペインティングが施された壁画と出会うことができます。
あまり時間がない方にお勧めなのが、港から坂道や階段を登って行くことのできる「豊玉姫神社」。島一番のビュースポットは、島に残る豊玉姫伝説ゆかりの地として知られ、島の人からは「玉姫さん」と呼ばれ親しまれています。港の大鳥居から参道に通じており、参道に続く階段で振り返ると男木島ならではの美しい風景と出会うことが出来ます。
また、せっかく男木島にいらっしゃったのであれば、是非ともお試しいただきたいのが「タコ飯」です。島名産の「タコ」をふんだんに用いたタコ飯やタコの天ぷら、お好み焼きなど、様々なタコ料理が堪能できます。
私の個人的なお勧めとしてはタコ壺漁の漁師さんが営む漁師宿「民宿さくら」のタコ飯。高松へ戻るフェリーの中でいただきましたが、ほんのり甘みを感じる桜色したタコ飯は絶品でした。
高松の食事 定番の讃岐うどんや名物の骨付鳥
高松市内を散策していると、「讃岐うどん」の店がすぐ目に飛び込んできます。視察を通じて私がお勧めしたいのは下記の2店。
まず1店目は、高松駅から至近に位置する「めりけんや 高松駅前店」。小麦粉・塩・水、全ての材料にこだわりを持ち、熟練の製法により、「味よし、コシよし、ツヤよし、ハダよし」の讃岐うどんが完成します。注文はシンプルで、温冷問わず店員さんがうどんを用意してくれ、あとは好みの付け合わせを選ぶのみ。早朝に訪れましたが結構な込み具合で、皆さん、黙々と召し上がっていらっしゃるのが印象的でした。
もう1店はがらっと変わって高級な老舗の雰囲気が漂う「うどん本陣 山田屋」。五剣山の麓、八栗寺参道沿いにあり、1日で4000人が行列を作ると言われる人気店です。
約800坪の広大な敷地に建てられた屋敷は、登録有形文化財でもあり、そこでいただくうどんは格別。山田家で徹底しているのが「足踏み・菊練り・手打ち」。職人は手作業を行ううちに、「麺と会話」しながら、麺がどんな状態か感じ取っているそうです。それゆえに、お客様からは、「朝食べても夜食べても味にブレがないね」という評判だそうです。
私が行った時も結構並んではいましたが、並ぶ価値は十分です。ちなみにご紹介したイサム・ノグチ庭園美術館のすぐ近くなので、一緒に訪ねるのも良いでしょう。
最後にもうひとつご紹介したいのが、知る人ぞ知る高松の逸品である一鶴の「骨付鳥」。鳥のもも肉をまるごと一本、特製スパイスをふりかけてじっくり焼き上げた、創業60年の一鶴の骨付鳥は、まさに「やみつきになる味」。今回は車の運転があったので無理でしたが、ビールがあればもう最高!という感じでした。
尚、四国の食事を楽しめる旅として、下記2コースもございます。ワールドならではの視点で食と旅にアプローチする好評企画、「地方の美食学+旅」シリーズの新しい旅です。香川、徳島、愛媛、高知。四国の魅力は、一つの島でありながら、それぞれに異なる気候風土に根ざした個性豊かな食文化があることです。それぞれ特徴ある美味を求めて各県を訪ね、味わっていただきます。よろしければご参照ください。
四国ガストロノミー 高松・徳島の旅【4日間】
「高松・徳島の旅」では讃岐の国香川と阿波の国徳島それぞれで、2つの和の名店へ。郷土の旬の食材を生かした、品格溢れる味わいをお楽しみいただきます。さらに重伝建の町並みを訪ねたり、阿波藍の工房見学や、阿波踊りの実演など、歴史や伝統文化にふれるひとときも組み込みました。
出発日: 3月16日(火)
旅行代金:¥198,000
四国ガストロノミー 高知・愛媛の旅【4日間】
「愛媛・高知の旅」では、四国の柑橘王国といわれる愛媛にて気鋭のイタリアンと和の名店にご案内し、高知では土佐を象徴する味覚、カツオのタタキを港町久礼にてご賞味いただく趣向としました。重伝建の町々も訪ねる、初春の旅をお楽しみください。
出発日:出発日: 3月15日(月) 、 3月22日(月)
旅行代金:¥198,000
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