歴史ある風景

歴史ある風景

2021年11月02日

ドラマが生まれる地 関門海峡 

九州支店:柴尾祐樹

 

本日のテーマは九州と本州を隔てる関門海峡、下関と門司港です。

瀬戸大橋としまなみ海道、明石海峡大橋と3つの陸路で本州と繋がる四国に対し、九州の玄関口はただ一か所・関門海峡だけ。非常に幅が狭く時間によって変化する潮流が船乗りを翻弄させるといわれる海峡ですが、古来より交通の要衝であり、数々のドラマチックな歴史舞台となってきました。その歴史ロマン感じる風景を時代順に紹介いたします。

1185年 源平合戦 壇之浦の戦い

平安時代、栄華を極めた平家一門に対して反旗を翻した源氏が繰り広げた5年間に渡る源平合戦。その戦いの最終決戦の地が関門海峡・壇ノ浦です。当初は平家優勢だった戦況ですが、源義経率いる源氏に平知盛が率いる平家が破れ、幼帝安徳天皇をはじめとし平家一門は海へと沈みます。源氏の勝利には日に4度も変わるといわれる関門海峡の潮の向きが大いに影響したと伝えられます。

わずか6歳で命を落とした安徳天皇を祀る下関・赤間神宮
平家の総大将・平知盛の墓がある門司港・甲宗八幡宮

1612年 巌流島の決闘

剣豪として名を馳せていた宮本武蔵と細川家小倉藩の剣術指南役を務めていた佐々木小次郎の2人の果たし合いはみなさまもよくご存じだと思います。その舞台も実は関門海峡にあるのです。正式名称は船島といいますが、佐々木小次郎の流派「巌流」の名が残され、巌流島と呼ばれるようになりました。

島へは下関、門司港どちらからでも船で僅か10分程
関門海峡を背景に武蔵と小次郎の像が佇みます。

1863年 馬関戦争から近代日本への幕開け

時は15世紀、当初攘夷派であった高杉晋作率いる長州藩は、馬関海峡とよばれていた関門海峡を航行中のアメリカ・フランス・オランダ船を砲撃。下関事件と呼ばれるこの砲撃でしたが、翌年、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国による報復を受け、惨敗してしまいます。これをきっかけに攘夷は不可能と悟った長州藩は、のちに倒幕運動へ進むこととなったとされます。

最も海峡の幅が狭く潮流が速い早鞆(はやとも)の瀬の目の前に砲台が置かれました。現在はみもすそ川公園として整備されています。
幕末には海峡を挟んで幕府軍と長州軍が争う戦場にもなりました。

明治以降 国際港として発展する両都市

明治に入り、下関は上海定期航路の寄港地となるなど外交や貿易の拠点として発展してゆきます。一方、当時寒村でしかなかった門司港も、筑豊で掘り出される石炭積出のため大規模開発の計画が浮上。国際港や鉄道の整備が進み、大正3年に門司駅(現・門司港駅)が開業します。また、門司港には欧州航路、上海航路が開設され大いに賑わいを見せました。
明治以降の九州には炭鉱王や実業家が数多く誕生しますが、門司港では海賊と呼ばれた男のモデルとして知られる出光佐三が出光興産を創業しています。

下関に開設された英国領事館。現在はギャラリーやレストランとして利用されています
大正11年にアインシュタインが宿泊した旧三井倶楽部
 復原工事を経て2019年再オープンした門司港駅。開業当時の姿に復元されました。

昭和に入ると世界初の海底トンネルである関門鉄道トンネル(1942年)が開通。さらに高度成長期には当時は東洋最長の橋として関門橋(1973年)、新幹線の新関門トンネル(1975年)が立て続けに開通し、新幹線が小倉、博多まで延伸。これにより行政・経済の中心は小倉、そして博多へと移ってゆきましたが、いまでは多くの歴史的出来事の舞台となった面影を残す観光地として多くの人で賑わっています。

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