歴史ある風景

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2020年12月29日

群馬古墳王国 古代東国の最先端地域はここにあった。

本社:プランニング事業本部 乗田憲一

群馬や栃木、茨城、千葉北部には、大和王権時代の古墳が多く出土しています。中でも群馬は、その質と量で他を圧倒しており、「古墳王国」の異名を持っています。

その特徴は「前方後円墳の多さ」と「副葬品の馬の埴輪の多さ」です。大和王権のあった機内で生まれた前方後円墳は、相当な技術力がなければつくることが出来ません。畿内にいた渡来人系の技術者集団がこの地にいた可能性が高いのです。また古墳1基に、1,2体あればいいのが馬の埴輪ですが、群馬の古墳にはたくさん出てきます。当時、人やモノの流通手段として革新をもたらしたのが「馬」でした。それを放牧するのに適していたのが群馬だったのではないかと言われています。畿内と東国を結ぶ街道が既にあったようで、鉄鍛冶や養蚕、窯業などの産業も興っていた可能性もあると言います。また利根川水系を利用した水田開発も行われていて、間違いなく古代東国の最先端地域であり、まさに群馬ルネッサンスがあったのかもしれません。

人やモノの流通が起こると文化が発展するのはいつの時代も同じ。後に車や航空機がもたらした流通革命で私たちの生活も豊かになりました。1,500年の昔は「馬」が、人々の暮らしを激変させたのだなと思うと、なかなか興味深いものです。

綿貫観音山古墳
綿貫観音山古墳からは馬の埴輪が多く出土しました
綿貫観音山古墳(6世紀後半)石室
観音塚古墳(6世紀末)石室
観音塚古墳の石室から見つかった「承台付銅鋺」(2021年3月以降、高崎市観音塚考古資料館にて展示再開予定)

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