歴史ある風景
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2021年09月07日
古代日本と百済の意外な関係性?驚きの「西の正倉院」
本社 プランニング事業本部:乗田憲一
宮崎県、延岡市から車で1時間半。九州山地の山奥にある美郷町南郷区。ここは古くから百済滅亡後、王族一家が逃れ住んだという伝説がありました。1986年、神門神社から奈良正倉院と同じ銅鏡「唐花六花鏡」が見つかったことから、にわかに史実として浮かび上がってきました。この銅鏡は百済王の遺品であり、国内に現存する唐式鏡300面のうち、17面がこの神門神社で見つかりました。正倉院の銅鏡が東大寺大仏殿の台座からの出土品であるのに対し、これは神社が大切に保管してきたという点も見逃せません。
1996年、宮内庁の協力、奈良国立文化財研究所の学術支援、そして建設大臣の特別許可を得て、「門外不出」の正倉院原図を基に、奈良正倉院と寸分違わず、忠実に再現し、「西の正倉院」と名付けられました。樹齢400年から500年の木曽天然檜を使い、釘や金具、瓦や柱などの部材や瓦の葺き方など本物そっくりにできています。奈良の正倉院の内部は完全非公開ですので、内部を見ることが出来るだけでも大変貴重です。内部には銅鏡ほか、学術的にも貴重な国宝級の宝物が展示されています。また百済最後の王・禎嘉王(ていかおう)を祭神とする神門神社所有の百済王族にまつわる多数の宝物を展示するほか、旧南郷村に伝わる百済王族の伝承も紹介しています。
面白いことに神門神社本殿に平城京の発掘から確認された伝統技法が今に残されているなど、朝鮮半島や大和朝廷との密接な関係も裏付けられています。さらに王族親子(禎嘉王(ていかおう)と福智王(ふくちおう))対面の祭りと伝わる『師走祭り』も文化庁の調査から極めて古い形態を残す祭りであることも判明しています。
「西の正倉院」に隣接する「百済の館」は百済最後の王都「扶余」の王宮跡に建つ元国立博物館の「客舎」をモデルに建設。資材などは全て韓国から運び、極彩色の丹青(タンチョン)は、本場韓国の名工によるもの。百済時代の韓国の国宝・重要文化財のレプリカを展示し、国内の百済文化の足跡も紹介しています。九州の奥地に、異国の地の歴史上の有名人が眠っているとは、古代史には解明できない謎がちりばめられていて、いつもロマンをかきたててくれます。
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