町並み百選
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2021年09月23日
海とともに生きる 塩飽諸島の町並み
プランニング事業本部 吉田義和
これまで瀬戸内の島々としてはとびしま海道の重伝建大崎下島の「御手洗」、しまなみ海道の港町生口島の「瀬戸田」をご紹介してきましたが、今回はさらに東へと目を移し、香川県と岡山県の沖合に浮かぶ塩飽(しわく)諸島をご紹介します。岡山沖の島というと、直島や豊島など「アートの島」が知られていますが、塩飽諸島は海とともに生きる人々が残した伝統の町並みが残る、懐かしくも美しい町並みが残るエリアです。
人名が治めた塩飽水軍の本拠地 「塩飽本島 笠島」
岡山県と香川県に挟まれた備讃(びさん)瀬戸と呼ばれる海に、大小28の島々が連なる塩飽諸島。潮の流れが複雑で早いことから、この地に住む船乗りは古くから優秀な人材が多かったといわれています。その中で備讃瀬戸を中心に大阪から瀬戸内周辺の海の流通を担ったのが塩飽水軍でした。信長、秀吉の命で軍役の際に海上輸送を担ったことで、秀吉から船方650人に対し朱印状が与えられ、1250石の自治領となりました。船方による自治は幕末まで続き、各藩の大名に対して、人名(にんみょう)とよばれた船方たちがこの地を治めたという珍しい土地です。その本拠地が塩飽諸島の中心に位置する塩飽本島の笠島です。笠島は塩飽本島の北東部に位置し、北には海が、ほかの三方には丘に囲まれ、丘の頂上からは香川、岡山双方が見渡せるという、天然の要塞の地にある集落です。
訪れると、塩飽諸島海域の現在のシンボルである巨大な瀬戸大橋(1988年開通)に圧倒されますが、笠島集落に入ると、そこは江戸時代の風情がそのままに残ります。国の重伝建登録も早く、瀬戸大橋の開通直前の1985年には街並み保存地区に指定されています。笠島の中心となるのが南北に走る東小路と変わった名前の「マッチョ通り」。筋骨隆々な船乗りたちから名づけられた、訳ではなく「町通り」が訛って付けられたそうで、マッチョはいない静かな通りです。塩飽統治の中心であった塩飽勤番所は現在資料館となっており、信長、秀吉、家康の朱印状や、当時の海路図などが展示されています。
戦国から江戸初期には船乗りとして活躍した塩飽水軍ですが、平和な時代が続いた江戸中期には北前船を中心とする長距離の交易航路が確立され、流通の中心からは外れてしまいます。そのため、船方たちは船大工の技術を生かし、塩飽大工として周辺各地の建築に関わりました。国内で三番目に高い五重塔である善通寺五重塔も塩飽大工の手によるもの。善通寺は弘法大師生誕の地に建てられた寺院で、四国遍路第75番札所にもなっている四国最大規模の寺院建築です。塩飽大工の手によって建てられた五重塔は、今もお遍路を歩く巡礼者を見守っています。もちろん本業の船乗り技術も明治期まで衰えず、勝海舟や福沢諭吉を乗せて日本で初めて太平洋を横断した咸臨丸の乗組員の多くが塩飽出身者だったという記録も残されています。
重伝建を断り独自の町並みを守る「高見島」
もうひとつご紹介するのが高見島です。現在は人口わずか30人ほど。円錐形の龍王山の麓に3つの小さな集落が点在しています。建築の多くが江戸から明治にかけて、築100年を超す民家で、国からの重伝建登録の要請を断り、自然のままに当時から変わらない生活を続けている素朴な島です。観光地ではなく、観光施設や食堂もありませんが、その分島の伝統の町並みと、そこに暮らす人々の生活を垣間見ることのできる貴重な島です。島の各所には手作りの案内板が設置されており、それを頼りにのんびりと歩いてみましょう。円錐状の山の中腹に沿うように作られているため、アップダウンはありますが、上るごとに見えてくる瀬戸内の景観はすばらしいものです。3つの集落のうち、浦集落の高台にある大聖寺は映画「寅さん」のロケ地ともなった場所。境内から見える瀬戸内の海と島は絶景です。港から大聖寺までは歩いて10分ほど。途中、集落には似つかない「シアトル坂」という道を上っていきます。これは、中腹にある家の持ち主、中塚さん一族がシアトルに移住し、成功を収めて家を建てたことに由来するそう。現在も残る中塚邸は見上げるような石垣の上に建てられています。
他にも多くの魅力的な島々からなる塩飽諸島。定期便では島めぐりは難しいですが、船を貸し切って島を巡る旅も実施しています。
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