町並み百選

町並み百選

2021年05月06日

初夏が美しい日南・飫肥の町並み

プランニング事業本部 吉田義和

本日の町並みは九州、宮崎は日南市をご紹介いたします。プロ野球ファンの私としては、日南市というと広島カープや西武ライオンズの春季キャンプ場として知っていますが、古くから景観の保存に向けた取り組みを実施しており、それが結実した町並みや自然をご覧いただく事ができます。

九州初の重伝建 武家の町、飫肥(おび)

九州には多くの武家屋敷が残る歴史的な町並みが残りますが、中でも重伝建登録の九州第一号となったのが宮崎県南部、酒谷川に沿って江戸時代の町割りが残る飫肥(おび)です。1587年、豊臣秀吉の島津攻めの軍功によって伊東裕兵(ただすけ)が島津氏からこの地に入り、城下町を整備しました。飫肥城を中心に、高台の台地には上級家臣の屋敷、その南の酒谷川沿いの平地に中級家臣の屋敷と商人街、その外側に寺院や下級家臣の町をつくりました。日南市では1974年から文化財保存都市宣言をして市民の寄付を募って飫肥城の城下町の保存作業を行い、3年後の1977年には重伝建に登録されました。その保存状態は日本屈指で、1650年代の城下町絵図と比べても現在の町割りとほぼ同じ。町に入ると江戸時代の町並みがそのままに広がっています。現在は観光地ではありますが、武家屋敷らしく高い壁と広い敷地が道沿いに並び、荘厳な風情が漂い、のんびりと静かな観光が楽しめる町となっています。伝統文化も色濃く残ります。代表的なものが「泰平踊り」です。1707年に対立していた薩摩藩と和解したことをうけ、これまで商人や農民が踊っていた盆踊りを武家にも解禁。以来武家と商人、農民が身分の隔てなく踊る盆踊りとして踊り継がれてきました。現在でも保存会のみなさんが踊りを継承し、季節ごとに見ることができます。

城下町の基点となる飫肥城の大手門
武家屋敷が並ぶ飫肥ⓒみやざき観光コンベンション協会

飫肥から世界へはばたいた小村寿太郎

飫肥出身で近代日本に大きな影響を与えた人物がいます。外務大臣として日英同盟やポーツマス条約などの締結を行った小村寿太郎です。小村寿太郎は飫肥の下級藩士の長男として生まれましたが、商人、農民とも交流できる自由な気風のもと育ち、藩校である振徳堂で8年間勉学に励みます。卒業と共に明治維新を迎えた小村は開校間もない大学南校(現東大)に進学。第1回の文部省留学生としてハーバード大学法学部に留学。外務省に入省してからは外務大臣の陸奥宗光に見いだされ、外務次官、駐米、駐露、駐清特使を経て外務大臣に就任。日本を法的な独立国家へと導きました。現在でも飫肥の一角には小村寿太郎の生家が残されています。

小村寿太郎の生家に残る案内板
飫肥の伝統芸能「泰平踊り」

東京オリンピックの年にブラジルから渡った奇跡の「ジャカランダの森」

まもなく日南市の南郷では、美しい紫の花「ジャカランダ」が見ごろを迎えます。和名は「紫雲木(しうんぼく)」。文字通り紫の花が雲のように木を覆い、木全体が紫に染まります。日本ではなかなか群生を見る機会はありませんが、我々も海外のツアーではよくご案内してきました。南アフリカのプレトリアや、ポルトガルのリスボン、セビリア、そして南オーストラリアなど海外の各所でご覧になった方もいらっしゃるかと思います。そんなジャカランダが日本でほぼ唯一、群生でご覧いただけるのがここ日南市南郷なのです。日南のジャカランダのはじまりは東京オリンピッが開催された1964年。ブラジルの県人会の人々から友好の証にジャカランダの種を譲り受けたのがきっかけ。以降日南市の宮崎県農業試験場で大切に育てられ、現在では1000本ものジャカランダの森を見ることができるようになりました。ブラジルから日本へと渡った友情のジャカランダ。今年も美しい「紫の雲」が空に浮かぶことでしょう。

日南海岸に咲くジャカランダ
日向灘とのコントラストも美しい
ブリスベンのクイーンズランド大学。桜に例えられ、お花見も人気
初夏にはジャカランダが街を染めるリスボン

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