【海外】帰国しました。添乗員レポート

【海外】帰国しました。添乗員レポート

2023年11月20日

【帰国レポート】マチュピチュ遺跡とペルー周遊の旅 9日間

<2023年11月6日(月)~11月14日(火) 9日間 東京支店 山田 周>

<11月6日発 添乗員:東京支店営業部 山田 周>

外交関係樹立150周年の式典で話題となったペルーへ行ってきました。佳子内親王殿下のペルー訪問の時期と一部重なりましたが、現地は特に混雑することもなく予定通りにスケジュール通りに進みました。

今回の旅の一番の目的であるマチュピチュはオーバーツーリズム解消のため、一日あたりの入場者・人数制限、時間制限など、様々な規制が設けられ、以前とは仕組みが変わっていました。海外旅行再開後、初めての訪問となるペルーの最新状況やアンデス山麓の村の様子などをご紹介します。

アンデスをゆく クスコからマチュピチュへ 

クスコ空港に到着後、バスでアンデスの山々が連なる風景をご覧いただきながらドライブ、聖なる谷を経由し、宿場町オリャンタイタンボへ移動しました。ここからペルーレイルに乗ってマチュピチュ村へ。列車からウルバンバ渓谷、田園風景、インカの旧道や段々畑などの遺跡、アンデスの山々など変化に富んだ風景を楽しみながら約1時間半でマチュピチュ村に到着。マチュピチュ村は人口5000人ほどの小さな村ですが、世界中から訪れる旅行者たちで村の中心部は大混雑でした。翌日の朝、マチュピチュ村から乗り合いバスに乗って、つづら折りの山道を上がり、2つの山の間の尾根(標高2430m)に築かれた天空の都市マチュピチュへ。早朝から村の中心部では遺跡の当日入場券を求める旅行者たちの長い行列ができていましたが、私たちは遺跡入場チケットを事前入手しているおかげで、乗り合いバスも遺跡入場も待ち時間なしで観光をスタートしました。

ミステリーサークルのようなモライ遺跡の実験農場跡地
アンデスの山を望む絶景ドライブ
ペルーレイルに乗車 天井までガラス張りのビスタドーム
アンデス先住民の住む ミスミナイ村
マチュピチュ村に2泊 ここから天空の都市マチュピチュへ
麓から天空の都市を結ぶハイラム・ビンガムロード

天空の都市マチュピチュを歩く 

抑えきれない高揚感を抱きながらゲートを通過、最初に10分ほど階段を上り、段々畑や見晴らし小屋、インカ帝国の旧道に続く展望台に到着。背後にマチュピチュ山、正面にワイナピチュ山を見据えながら歩きます。しばらくすると、ワイナピチュ山へと続く尾根に天空の都市マチュピチュの市街地が見えてきました。朝は雨模様でしたが、マチュピチュ到着時には雨もすっかり上がり、青空が広がりました。雲の隙間から浮かび上がるように見える、雨上がりのマチュピチュは本当に美しく、思わず歓声が。市街地に入り、現地ガイドのロナルドさんの解説を聞きながら、作業小屋、太陽の神殿や皇帝の住居跡、聖なる広場、農業試験場、3つの入り口の神殿、コンドル神殿など、マチュピチュ遺跡を隅々まで歩き、インカ帝国が健在だった時代を想像しながらの2時間半があっという間に過ぎました。

ワイナピチュ山の尾根の天空都市マチュピチュまであと少し
インカ旧道 太陽の門へと続く道
天空都市マチュピチュを展望台から見下ろします
市街地の門よりワイナピチュ山を望む
天空の都市マチュピチュ 太陽神殿
ガイドのロナルドさん ンドル神殿の解説

インカ旧道からアマゾンへ続くインカ橋へ

遺跡入り口のサンクチュアリ・ロッジのレストランで昼食後、マチュピチュ遺跡に再入場しました。午後はインカ旧道を歩き、インカ橋の見える展望台まで歩きました。1533年にインカ帝国最後の皇帝アタワルパがフランシスコ・ピサロ率いるスペイン人征服者たちに殺されてインカ帝国は崩壊します。インカの人々は抵抗を続けますがスペイン軍の追手が目の前までせまり、マチュピチュの人々はついには町を放棄して忽然と姿を消します。アマゾンの熱帯ジャングルとアンデスの境界にあるインカ帝国の幻の都市マチュピチュは征服者たち(スペイン人)に発見されることなく数百年もの歳月を経て1911年にアメリカ人考古学者ハイラム・ビンガムによって発見されました。インカ橋はアマゾンへ続く脱出ルートであると信じられている場所です。マチュピチュの人々が最後に何を思ったのか当時の時代に思いを馳せるひとときとなりました。

インカ旧道を歩きインカ橋を目指します
インカ橋の向こうはアマゾンへと続く道

クスコでは酸素供給ホテルに宿泊

標高3400mのクスコでは酸素供給ホテル「アランワ・クスコ」に宿泊しました。寝ている間にも部屋に酸素が供給されることで高山病発症のリスクが大幅に軽減されます。短い滞在時間でしたが、インカ帝国のかつての首都クスコの旧市街を歩いてまわりました。インカ帝国時代の神殿は破壊され、土台部分のみ残され、植民地時代に立派な教会が跡地に建てられました。現在のクスコに残された建物はスペインコロニアル時代のものがほとんどですが、剃刀一枚すら通さないインカ帝国時代に築かれた石垣や城壁など、当時の面影が各地に残されています。

コロニアル建築のアランワ・クスコの中庭
アルマス広場の夜景も見事でした
剃刀1枚通さないインカ時代の石組み(右側)

有名な12角の石の前にて
アルマス広場のレストランで最後の夕食
サクサイワマンの石組み(最大120トンの重さ)

ペルー原産の食も楽しむ

ペルーは知る人ぞ知る食通の国です。ペルー原産の食材を生かした郷土料理を各地でお楽しみいただきました。地元の食材を現代風にアレンジした高級レストランの創作料理からアンデスの村の食堂で提供される素朴な家庭料理まで多彩なお料理をいただいてきました。

シチュー仕立てのロモ・タルサード(ペルー国民食)
スーパー・フード キヌア・サラダ
ペルーのジャガイモは薬3000種類もあるといわれています

クイのオーブン焼きも一口ずつ試食しました

ペルーは日本が初めて国交を結んだ南米の国で、昔から非常に関わりの深い国です。距離の遠さから訪問を躊躇している方もいらっしゃいますが、南米一帯を支配した偉大なインカ帝国の文明のほかにも、謎に包まれたナスカ文明をはじめとする古代文明、アンデスの奥に広がる手つかずのアマゾンの大地など多彩な自然景観を有し、多彩な魅力を持つ国です。ぜひ一度訪れてみてください。

この記事に関するキーワード

お気軽にお問い合わせください

電話相談はこちら

受付時間:午前9:30~午後5:30

東京
03-3501-4111
大阪
06-6343-0111
名古屋
052-252-2110
九州
092-473-0111
札幌
011-232-9111
藤沢
0466-27-0111