【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2020年12月20日

琵琶湖疏水クルーズと奈良ホテルの旅

2020年11月18日~11月21日 4日間 添乗員:東京支店 池田昂陽

「琵琶湖の水を止めるで!」
滋賀県の方が京都や大阪の人と口論になった時に使うフレーズとして有名ですが、実際に琵琶湖の水は、周辺の人々の生活に欠かせない役割を果たしています。今回は琵琶湖の水を京都に引きいれるという明治の大事業「琵琶湖疏水」をクルーズし、その歴史と重要性を感じる旅をしてきました。

疏水を作った男、田邊朔郎の像。

明治時代に入り、都が東京に移ったことで衰退していってしまった京都。
京都を再び盛り上げようと時の府知事、北垣国道が着手したのが、京都人の長年の夢でもあった「琵琶湖の水を京都に引きいれる」という一大事業でした。

この「琵琶湖疏水事業」の建築主任技師に登用されたのが若干21歳の田邊朔郎でした。今回のツアーでは、この田邊朔郎のお孫さんである田邊謙三さんによる特別講演会を開催。実際に疏水クルーズを行う前日に、当時の時代背景や琵琶湖疏水の歴史、それを作った田邊朔郎について詳しくお話をしていただきました。

当時の建築事業は基本的に外国人技師の監督の下に行われていましたが、この琵琶湖疏水は日本人だけで作り上げたものだということ、莫大な費用と綿密な計画を支えた人々など様々なお話がある中で、特に印象的だったのが田邊朔郎の「水力発電」にかける熱意でした。当初は発電所の計画はなかったのですが、工事途中に田邊朔郎が府知事の北垣国道に提言。却下されるものの、自ら渡米し、世界の技術の進歩を肌で感じ、日本の将来を見据えての熱意ある説得を行いました。結果として日本で初めての営業用水力発電所が建設され、これが京都の産業、経済をささえる大事な屋台骨となりました。

翌日、実際に琵琶湖疏水を訪れました。前日の講演会、そして乗船前のビデオ上映などで期待が高まるなか、いよいよクルーズです。琵琶湖の大津から船は出発。すぐに第一トンネルに入ります。長さ2.4kmという当時日本で最も長いトンネル工事で、困難を極めたそうです。両端から掘り進めるだけでなく、立坑という山を垂直に掘り進めていく方法も取りました。測量はとても正確で、誤差はわずか数センチだったそうです。トンネルに入ると出口の明かりは遥か彼方。改めてこの工事の大変さが想像できました。

トンネルの入口と出口にある扁額も見所のひとつ。
当時日本一の長さを誇ったトンネル内。
長いトンネルを抜けると秋景色が広がっていました。

トンネルを抜けると紅葉の木々が目に飛び込んできました。琵琶湖疏水は周辺の景色の美しさも大きな魅力です。この時期は紅葉が見頃で、赤や黄色に色づいた木々の間をクルーズしていきました。桜の木々も多いので、春の桜の時期にまた戻ってきたいなと思いました。疏水沿いは、散歩道になっており、犬のお散歩をしている人や可愛らしい幼稚園生の姿もありました。どの方も手を振って挨拶してくれ、疏水が地元の方々に愛されていることを感じました。第2、第3トンネルや日本初の鉄筋コンクリート橋などをクルージングしていき、約55分の船旅はあっという間に終了。歴史的背景を知ったうえでクルーズできたのが楽しさを何倍にも高めてくれたと思います。

疏水沿いには沢山の桜の木が。春には桜並木の中のクルーズで美しいことでしょう。
疏水沿いをお散歩する幼稚園生との交流もほっこりしました。
鮮やかに色づいた木々が美しい。

疏水船が到着したのは京都の蹴上。ここからは琵琶湖疏水アカデミーの方の案内で、蹴上インクラインや蹴上水力発電所(外観)などを見学。疏水尽くしの1日となりました。
蹴上では琵琶湖から流れてきた水が勢いよく流れ出ていました。これが京都の人々の生活を支えていることに気づくと同時に、琵琶湖疏水の大切さを知りました。

琵琶湖からの水が勢いよく京都に流れてきます。

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