【国内】帰着しました。添乗員レポート

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2020年12月17日

古い町と伝統文化を訪ねる小豆島の旅

2020年11月07日(土)~11月10日(火) 4日間 添乗員:東京支店 相澤満弘

瀬戸内に浮かぶ、小豆島に行ってまいりました。温暖な気候や多島の海景色、「オリーブの島」のグルメや現代アートが注目されますが、このツアーは小豆島に3連泊。レトロな小豆島の代表的な観光地だけでなく、島に伝わる古い町並みとそこに受け継がれる伝統にふれることができました。島のあちこちで見えたレトロな町並みをご紹介します。

醤の郷 長く連なる「マルキン醤油」の蔵

醤(ひしお)の郷で訪ねる、小豆島の伝統

島の南東部、ホテルのある一帯は「醤の郷」と呼ばれます。小豆島は400年の歴史を誇る醤油の生産地で、明治の最盛期には400件ほどの醸造所がありました。現在でも20もの醤油蔵や佃煮工場が昔ながらの製法でものづくりに取り組んでおり、通り一帯に醤油の香りが漂います。日本全国で酒やお味噌、醤油づくりに使われる醤油樽(大桶)は2000基ほどですが、その半分以上が小豆島内で現役で活躍しています。

馬木散策路の一角にある「ヤマサン醤油」は、江戸時代(1846年)の創業。小豆島でも最も古い醤油屋です。社長の塩田さんが小豆島の醤油産業の歴史を紹介してくれ、様々な醤油を味見、その後に醤油蔵や醸造工場、住宅などの歴史建築を見せてくれました。

「マルキン醤油」の醤油釜

続いて、1907年(明治40年)創業の「マルキン醤油」へ。大正初期に建てられた合掌造りの旧工場や、100個もの大きな杉桶が並ぶ醤油蔵を見学。現在も蔵の中では静かにもろみが発酵しています。屋根瓦や板壁が黒くなっているのは、醤油の菌が元気に発酵している証拠。雰囲気ある散策路が広がって、時間をかけて町散歩を楽しみました。

『二十四の瞳』の舞台・岬の分教場へ

ホテルより南、内海湾に面した岬の分教場は、小説『二十四の瞳』の舞台でした。田浦分校として、実際に小学1年から4年生までの児童がここで学んでいました。

小豆島生まれの作家・壺井栄が『二十四の瞳』を著して1954年に映画化されると、小豆島は一躍有名になり、観光客が大挙島を訪れるきっかけになりました。

1902年(明治35年)に建設された岬の分教場

岬の分教場は1971年に閉鎖されるまで教室として使用され、2つの教室には当時を偲ばせるオルガンや机椅子や児童の作品がそのまま置かれ、黒板には先生からのメッセージが残されていました。

学校の周辺の町並みも古めかしく、味がありました。

『二十四の瞳』をモチーフにした「平和の群像」(土庄港にて)

土庄町では「迷路のまち」をぶらり散歩しました

醤の郷、『二十四の瞳映画村』や岬の分教場、オリーブ公園などの観光名所が島の東部にあるのに対して、島の西部土庄町はより島の人々の生活ぶりが見られる場所でした。

港に近い土庄町の「迷路のまち」は、南北朝の戦乱や海賊の侵略に備えて曲がりくねった路地が敷かれ、低い垣根を持った古めかしい家々が築かれています。

小豆島八十八ヶ所霊場のひとつ、五十八番札所・西光寺の供養塔がどこからでも見え、それを目印に気ままな散策を楽しみました。

寒霞渓では紅葉が始まっており、山頂から赤黄に染まる木々と山肌、瀬戸内海の海景色が見渡せたり、アートの島・豊島(てしま)で自然に溶け込む現代アート作品を楽しんだり。他にも紹介しきれない見どころがたくさんありました。

ぜひ、小豆島ではゆっくり滞在して、島特有の「島時間」をお楽しみください。

寒霞渓から望む瀬戸内の景色

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